トナカイ語研究日誌

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穂村弘百首鑑賞ロスタイム・高橋源一郎の「シンジケート」評

 穂村弘の名前が一般メディアに初めて現れたのは1991年に朝日新聞に掲載された高橋源一郎文芸時評である。高橋は『シンジケート』を引用してこう語っている。

俵万智が三百万部売れたのなら、この歌集は三億部売れてもおかしくないのに売れなかった。みんなわかってないね。

 この言葉だけが一人歩きして有名になっているが、どのような文脈で語られたことなのか、実際にその時評をまとめた評論集『文学じゃないかもしれない症候群』をあたって調べてみた。これは『シンジケート』単独の書評として書かれたものではない。漫画と文体について論じた「言文一致の運命」に論の締めとして置かれたものである。
 この時評では、漫画賞の選考委員を経験して柴門ふみなどを読み込んだ体験から始まり、関川夏央の現代漫画論に触れる。《現代マンガをこの三年間で相当量、研究的に読んで感じることは、この表現分野における口語日本語への執着の強さである(中略)その背景には膠着語における「かきことば」の文末、「―だ」「―である」といった指定詞終止形反復と、それを多用した「地の文」への忌避感が内奥に強くあるようにも思える。》。これは1991年頃の漫画の状況の話であるが、当時の漫画はネームが肥大化し「絵」よりも「ことば」に表現の本質が置かれようとしていた。そのうえで関川はこう結論した。《現代マンガというこの巨大な文化の中心に、明治二〇年代以来の二度目の大規模な「言文一致」運動があるということだった。》。
 「言文一致」は二葉亭四迷が『浮雲』で完成させ近代文学の礎としたテーゼである。それは作家の「内面」があって完成されたものではなく、「言文一致」という文体があってはじめて「内面」の獲得に成功したのだという。その「言文一致」が変えようとしている役割を担っているのが現代漫画だった。

 近代文学がつくり出した「言文一致」の日本語にわたしたちは異議をさしはさんでこなかった。わたしたちの「内面」はそのことばによって、否定的であるにせよ肯定的であるにせよ、表現できるものと作家たちは信じてきた。だが、現代マンガが生んだのは新しい二葉亭四迷たちとでもいうべき読者だった。かれらもまた、目の前の日本語で自らの「素顔」を描くことを不可能だと感じていたからである。

 「内面」=「自我の独白」は「言文一致」という文体の完成によって後から発見されたものだった。そして目の前の日本語で「素顔」を表現することに限界を感じた現代人が、「ことばに本質を置いたマンガ」という新たな文体を手にしようとしている―。これが関川夏央を援用したうえで高橋源一郎が導いた結論である。それを踏まえた上で最後に穂村弘を引用するのである。

 穂村弘は新しい「言文一致」で書こうとしている。だが、そのことばもまた歴史的なものにすぎないこと、そしてそこで獲得される「素顔」もまた「仮面」の一首にすぎないことをかれは熟知している。だから、かれは近代文学者たちと同じ道を歩むことはないだろう。わたしたちは歴史をその程度には信じていいのである。

 現代漫画と同質の「言文一致」を短歌という詩形で獲得しえたのは俵万智ではなく穂村弘だった。「近代文学者たちと同じ道」とはすなわち「内面」=「はなしことば」が「言文一致」=「かきことば」に優越するものであるとみなす誤りである。文語をベースに定型に馴染むように言葉を変形させ口語化させることに成功したのは俵万智ではなく穂村弘だ。だから高橋は「みんなわかってない」と愚痴ってみたのだ。穂村弘には「内面」を口語でかたらなければならない必然性は何もなく、ただひたすら日本語の貧しさに抵抗した。穂村が対峙していたのは社会でも歴史でもなく、言葉そのものだった。それは近代文学者たちの格闘と同じものであり、また現代漫画家たちの格闘とも同じものなのだ。短歌は今もなお口語と文語という「言文一致」以前の区分けが生きている領域である。その領域に言葉との格闘者が登場した。だからこのような評が書かれたのだろう。
 そしてこの評が書かれたことで『シンジケート』が売れたかというと別段そんなことはなかった。ただ穂村弘だけではなく四元康祐にもいちはやく反応していた高橋源一郎のこの時評はなかなか貴重なものである。