トナカイ語研究日誌

歌人山田航のブログです。公式サイトはこちら。https://yamadawataru.jimdo.com/

一穂ノート・7

 一穂の代表作中の代表作『白鳥』は、十五章に分けられた三行詩である。1944年10月の「詩研究」に『荒野の夢の彷徨圏から』として五章が発表されたのを初出とする。1946年10月の「芸林間歩」にて全十二章と長大化し、最終的には十五章となって1948年の第4詩集「未来者」に収められている。版元は札幌青磁社である。同社には佐藤佐太郎が勤務経験を持つので、出版に当たって何らかの関わりがあったかもしれない。この当時の一穂は生業としていた絵本の編集者を退職し、母校早稲田大学での講演などをしばしば行っていた。札幌青磁社とのつながりがあったが、北海道に足を運ぶことはなかったようだ。

 かなり長大な作品であるが、全く長さを感じさせないパワーに満ち溢れた詩である。その一連一連にイメージが象徴化されて凝縮されている。その一連ごとを深く読み込んでみることにする。

1


掌(て)に消える北斗の印(いん)。
……然(け)れども開かねばならない、この内部の花は。
背後(うしろ)で漏沙(すなどけい)が零れる。

 掌に刻み込まれた北斗の印は、掌に落ちてきた雪の結晶のことであり、また北に生まれたことの刻印だろう。どこまでいっても逃げようのない北の宿命。「内部の花」とは降り積もる雪の下で春を待つ花であり、また一穂の心のなかに咲く花でもある。それをひたすら待ちわびながら、背後に砂時計がこぼれてゆくのを感じる。時の流れを感じているのである。
 1941年の詩論集「黒潮回帰」には、「北斗星は北回帰線を越えたるものゝ羅針であり、W星座(カシオペア)は彼等の錨星であつた。」という一文がある。北斗とはすなわち羅針盤。手の中の羅針盤を失ったところから詩は始まる。それは寒く悲しい彷徨のはじまりである。
 「黒潮回帰」には「砂」という題の論がある。「激情は砂をも炎と化す。」「砂は元来、冷やかなもの。無機の微塵像にすぎない。」一穂が砂によって象徴化しているのは、過去の堆積たる歴史である。一穂は歴史を虚無的なものと考えている。「われわれには何等、たよるべき確実なものが、一つとしてあり得ないのである。あるものは砂のやうな虚無・自然の混沌があるだけである。」。羅針盤を失くし、背後にただ虚無のような歴史が流れてゆくのを感じる。『白鳥』のスタート地点はそういう風景である。