トナカイ語研究日誌

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一穂ノート・10

6


蘆の史前……
水鳥の卵を莞爾(につこり)、萱疵なめながら、須佐之男のこの童子(こ)。
産土(うぶすな)で剣を鍛つ。

7


碧落を湛へて地下の清冽と噴きつらなる一滴の湖。
湖心に鉤を投げる。
白鳥は来るであらう、火環島弧の古(いにしへ)の道を。

 『白鳥』の第6・7章は、初めて「水」のイメージが登場する節となる。前2章の夕陽の描写のあとに訪れるのはみずみずしい夜だ。「須佐之男」の登場は詩全篇のなかにおいても異彩を放っている。なぜここで日本神話の神が現れるのか。一穂はきっと日没をもって未来のはじまりを予感しているのだろう。須佐之男の産まれる前からある水鳥の卵。この水鳥はやはり白鳥なのだろうか。史前にさかのぼっていき、はじまりのイメージの描写。それが「落日」のあとに訪れるところに一穂の世界観があらわれているように思う。
 凄まじく冷たいイメージで綴られる湖。北斗の印を受け止め、薪を割っていた手が今度は鉤を投げる。繋ぎとめようとする鉤。夜の水に波紋が広がる。史前の卵を想像しながら、「白鳥が来る」ことを強く予感する。白鳥は歴史を突っ切って飛んでくる。それは未来からの使者だ。未来からの使者は、落日後の暗く静かな湖に現れる。未来は闇からはじまる。未来は清冽な水を求めてやって来る。「火環島弧の古の道」は日本であろう。暖を求めて北から飛来するのだ。火を求めているのは未来から訪れる白鳥ばかりではない。一穂も、そして北に暮らす人々もみな火を求めている。この2つの章はともに「水」と「火」の対立構造からなっている。第6章は「蘆」「水鳥」に対して須佐之男が凄まじい火を放って剣を鍛つ。第7章は、「水」と「火」のイメージが湖心に投げられる鉤でもってつながれる。「水」と「火」の衝突は、静謐な夜の湖に少しずつ波紋を立てていき、未来の訪れを予感させる。その未来が輝かしいものかそうではないかはわからない。ただ、一穂は「北」という呪縛から逃れるすべを、自由にはばたく白鳥に見出そうとしている。