トナカイ語研究日誌

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一穂ノート・12

10


無燈の船が入港(はひ)る、北十字(キグヌス)を捜りながら。
磁極三〇度斜角の新しい座標系に、古代緑地の巨象が現れてくる。
紛(なく)したサンタ・マリヤ号の古い設計図。

11


未知から白鳥は来る。
日月や星が波くゞる真珠貝市(かひやぐら)。
何処へ、我れてふ自明の眩暈(めまひ)……

 『白鳥』第10章は船というモチーフが登場する。一穂の生家はもともと裕福な漁家であり、当然自前の船も持っていただろう。親にも漁師を継ぐことを期待されていたようだが、それは拒んだようだ。一穂は東京の海城中学校に通っていたことがあるが、これは親が校名だけを見て船乗りの学校と勘違いして通学を許可したという逸話がある(海城学園はもともと海軍予備校なので完全に間違ってはいないが)。一穂がどれほど船について本格的に学んだことがあるのかはわからないが、「磁極三〇度斜角」「座標系」といったあまり一般的ではないと思われる航海用語を用いていることからしても、聞きかじり以上の知識はあったのだと思う。
 船が星を頼りに航海したのは昔からの話である。船と星との関係に、一穂は古代からつながる時間軸を感じている。北十字(キグヌス)とは白鳥座のことである。詩のタイトルである白鳥とは、実体としての白鳥だけではなく白鳥座の意味も有している。白鳥座の十字形は十字架であり、キリスト教的なイメージも寓意されている。中国神話では織姫と彦星の間をつなぐカササギの橋がこの白鳥座とされている。カササギの橋といえば、「かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける」(大伴家持)というあまりにも有名な歌もあり、一穂もおそらくは意識していたであろう。「未来から来る者」の象徴として描かれる白鳥が、航海の目印となった白鳥座と結び付けられたことで、「白鳥」「十字」「カササギ」とあらゆるイメージが巻き込まれていく。「古代緑地の巨象」でイメージされるのはインドの象神(ガネーシャ)だろうか。一穂の空想の中で船は、時間と空間を同時に渡っている。サンタ・マリヤ号はコロンブスの大西洋横断の船。偉大な帆船の設計図は失われ、ただ星空に行くべき方向を求める孤独な人間。そこに現れる白鳥は、果たして救いなのか。
 第11章一行目は、『白鳥』という詩の最大のハイライトと言ってもいいだろう。未知から白鳥が来ることこそが、生涯をかけた一穂の願いであった。「かひやぐら」とは蜃気楼のことであるが、「真珠海市」と書いてそう読ませることが面白い。貝によって見せられる幻の世界。それは真珠の輝きに満ちあふれた街。港に生まれ、港に旅立ち、幻の港に着く。一穂の生涯は幻の港を探しての航海だった。「我れてふ自明の眩暈」。私が眩暈をおよぼしたのではない。私自身が眩暈なのだ。ひいては生きることこそが、未来をめざしながら行き場所を見失っている眩暈そのものなのである。