トナカイ語研究日誌

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一穂ノート・11

8


白い円の仮説。
硝子の子午線。
四次元落体。

9


波が喚いてゐる。
無始の汀線に鴉の問がつゞく。
砂の浸蝕……

 『白鳥』第8章はこの長大な詩の最大の転換点と言えると思う。三つの体言止め。いずれも非常に抽象的なシュールなイメージである。具体性のある描写がなされない連はこの第8章だけである。「円」や「落体」といった図形的なイメージは、加藤克巳の短歌を連想させる。歌壇のピカソとも称される加藤克巳の作風は、シュールレアリズムの影響を多大に受けている。一穂のこの三行にも、単純図形だけで構成された世界のような不思議な視界が見えてくる。
 白い円は立体化して子午線を持ち、やがて時間軸が加わり四次元のかたちをなして落ちてゆく。平面から立ち上がってゆき、球体へと変わってゆく。これは第4・5章で表現されていた円と平面の対立構造が壊れ、時間軸という新しい要素によって両者がつながり融合してゆくさまとも言えそうだ。一穂の目には、実体をもって毎日あらわれる夕陽の向こうにコンピュータグラフィックスのような抽象的な世界が映っていたのかもしれない。
 第9章で、抽象的な図形世界はいったん現実に回帰する。波音は聴覚から、波打ち際の鴉たちが視覚から、一穂を現実世界の海に立ち戻らせる。しかし砂の浸蝕は、その現実の海すらも一瞬の幻である可能性を表現している。砂浜は徐々に海に浸蝕されてゆく、やがてすべての人間はまた海へと帰っていく。未来の使者・白鳥とまったく異なる体色を持つ鴉。それは人間が決して逃れることができない過去からの使者なのかもしれない。「鴉の問」とは、人間を縛り付ける過去からの問なのか。始まりも終わりもない汀線は、切れることのない時間性を暗示している。
 第8章のシュールな図形的イメージと、第9章の一転してビビッドな海の風景。その狭間には、人間は過去から逃れることができないままにひたすら未来を待ちわびているという一穂の人生観が見え隠れしているように思う。