トナカイ語研究日誌

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一穂ノート・24

 実は吉田一穂が初めて出版した本は詩集ではない。1924年に出た童話集「海の人形」である。童話は詩と並んで一穂の創作の柱だった。生前に唯一得た生業も絵本の編集者の仕事である。大正期の児童文学の中心は鈴木三重吉主宰の「赤い鳥」である。一穂の童話観はその影響下にあり、自分だけの神話を創り上げることができる最も純粋な詩人という視点で子どもを捉えていた。もっともこのような解釈は戦後の児童文学では主流にはならなかった。戦後の児童文学は悩み苦しむ子どもたちの姿をリアルに描き出そうとする写実傾向が中心となった。

ひばりはそらに


ひとはなぜ、つきや みず、ゆうやけぐもの うつくしさ、くさの みどりの さわやかさを、かんじる のでしょう。いつのまにか、つくりものに ならされ、しきたりに なじんで わすれていた もとの すがた、 いのちと つながるものに ふれるから です。

 一穂の童話ではこの「ひばりはそらに」や「うしかいむすめ」あたりが比較的有名である。ひらがなのみを遣い、七五調のリズムで描いた世界はときに幻想的であり、散文詩といっていい文体である。一穂の詩に特徴的なペダンティックさは鳴りを潜め、かなりストレートな言葉を用いている。
 童話は一穂の創作の原点のもう一つの軸である。一穂の童話集は1944年の第三童話集「かしの木と小鳥」で最後である。「あしたのはな」という第四童話集も出版される予定だったが未刊に終わっている。戦後徐々に童話の創作から離れていったのは、戦時下を絵本の編集者として過ごした際に厳しい情報統制を受けたためとも言われている。純粋な子どもの世界をいじくり回す大人の世界に失望したのかもしれない。