トナカイ語研究日誌

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穂村弘百首鑑賞・70

  夏の川きらめききみの指さきがぼくの鼻血に濡れてる世界

 自選歌集「ラインマーカーズ」から、少し季節外れの一首。一読して気づくのがK音、とりわけ「KI」の韻である。これによりきらきらした世界が流麗な韻律とともに立ち現れる。「夏の川」といういかにも自然的なモチーフは都会派歌人穂村弘には珍しい。ここで「夏の川」といういつもとは少し違う舞台仕立てをしたことが、後半につながってゆく。
 「きみの指さきがぼくの鼻血に濡れてる」という状況は、よく考えてみるとかなりねじれている。男の止まらない鼻血を指で受け止める女という構図は、相当フェティッシュなものである。「血」というのはやはり経血につながる女性的なモチーフなので、それを男性の方が大量に放出しているというのがまず一種の転倒なのである。ただし「鼻血」は「血」の中でも比較的男性的なイメージを帯びており、「弱い男」の象徴になりうる。また、「きらめく夏の川」と「鼻血」はともに液体のモチーフでありながら、さわやかな青とあざやかな赤という対比になっている。このコントラストが「鼻血」に必要以上の毒々しさを植え付ける。

  こぼれたる鼻血ひらきて花となるわが青年期終りゆくかな  玉井清弘
 「鼻血」というモチーフで思い出すのはこの歌である。ここでの「鼻血」は若々しい青年性の象徴であり、それが花のようにぶちまけられることで終わりを迎えてゆくという表現がなされている。しかし穂村の歌の場合、「鼻血」は違う意味を帯びている。それは男性の中に潜む濃厚な女性性の象徴であり、その女性性が強烈なまでにさらけ出された瞬間に「世界」は生まれたのである。「夏の川」がいかにもさわやかで頑健な男性性の象徴であるのに対し、穂村が放つことができるのは同じ液体でありながら女性性をもった「血」。その中でももっとも弱弱しく情けない「鼻血」であることが、マスキュリンとフェミニンの狭間で苦しむしかない男の心情をあざやかに描出している。