トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその109・平井弘

 平井弘は1936年生まれ。岐阜県立加納高等学校卒業。1960年に「斧」創刊に参加し、1961年に第1歌集「顔をあげる」を出版した。1976年に第2歌集「前線」、2006年に第3歌集「振りまはした花のやうに」を刊行しているが、歌集のあいだのブランクの長さはほぼそのまま沈黙期間である。作歌から遠ざかってはまた再開してということを繰り返している歌人である。
 伝説の歌人といってもいい平井の作風は、のちのライトヴァースの原型を形作ったものといってもいいだろう。無理のない口語を定型にのせる感覚は、非常に先鋭的なものである。

  逢うための嘘なくなって這うめぐり花粉に塗れている虫ばかり
  外套の腕絡ませるようにしてなじりくる腹立てなくっていいの
  でも今はだめためらわずその膝を汚せる傷を負いうるなどと
  すこし怖いけどひき返すのがれ遅れた恥しさだけではないの
  ふと遅れゆきながらいう「恥しくないの見殺したくないなんて」
  男の子なるやさしさは紛れなくかしてごらんぼくが殺してあげる
 今では当たり前のようになっている口語、それを手に入れるために歌人たちは定型ととてつもない死闘を繰り広げてきた。その死闘の爪あとがより見えにくいほどその闘いは成功したといえるのかもしれない。平井は幼さを偽装した少年性という武器でもって闘いの爪あとを薄めていく方向性をとった。
 平井の短歌の特徴は、「兄」「姉」「弟」「妹」が頻出することである。

  義姉となるはずなりし手と朝焼けが洗わむか空の兄の柩を
  弟を愛するらしとわが知れるより恐れいるごとし少女は
  空に征きし兄たちの群わけり雲わけり葡萄のたね吐くむこう
  脛すこし淫らなるまで踏みいれて苺狩るおぼつかなき妹は
  あね姦す鳩のくくもる声きこえ朝からのおとなたちの汗かき
  栗の木の井戸さわさわといもうとのほかひきかえす足音ならず
 戦死した兄というモチーフがとりわけ繰り返し登場する。しかし実際に平井には兄はいなかった。この「兄」というのは出征していったひとつ上の世代の男性たちの総合的な象徴なのである。さらにいえば「姉」は前近代的ムラ社会に縛り付けられたひとつ上の世代の女性たちである。それに対して無邪気すら感じさせる「妹」たちの姿は戦争を直接は知らないひとつ下の団塊世代の象徴なのだろう。平井にとって戦争体験というのは非常に大きなインパクトだったわけだが、このように世代層を概括して土俗的な一山村の家族の物語に封じ込めてみせたというところがユニークな点である。「恥しい」という感情もまた、上の世代に戦争の災禍を一身に担わせたまま生き延びてしまった戦中世代の感慨なのだろう。

  草の泌む手を匿しいて回診のシーツにふいに性をはにかむ
  蟻を飼う少年の眼をいじわるく見ており彼も孤独の眼する
  パレットの夏の部分を剥しいつ確かなる何もわれに遺らぬ 
  肩の痕擦るランニング傷つくまで思いつめたることなくて脱ぐ
  西瓜の汁とび散るほどにかすかなる血だまりはるかなる潮だまり
  言わなくていいことなのに死者のまま死なせてあげていい筈なのに
  閉じし目に視つめられいるさながらに水いちまいの生者のあわい
 「顔をあげる」には「少年喪失」と題された章がある。少年期の終り、大人になっていくことというのが平井の中で大きなテーマであったし、それゆえに性的なモチーフも多数あらわれてくる。その一方で死という問題も大きなウェイトを占めている。死と生のあわいが薄くあいまいな状況のまま少年期を過ごしたという経験が、少年性の喪失を語るゆえでも濃い影を落としてくる。そしてこのような「死の匂いが立ち込めた少年期とその終り」という世界観は、「兄」や「妹」の象徴性と同様にやはり戦後の日本社会そのものと二重写しになっている仕掛けが施されているように思うのである。