トナカイ語研究日誌

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穂村弘百首鑑賞・68

  冬。どちらかといえば現実の地図のほうが美しいということ

 第3歌集「手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)」から。一見すると散文として読んでしまいそうな歌であるが、しっかりと定型である。句分けをすると、「冬。どちら/かといえば現/実の地図/のほうが美/しいということ」となる。4句目のように助詞から句がはじまってしまうような句跨りは、普通あまり歓迎されない。句のはじまりが強拍なのに対し、助詞はどんな文脈においても基本的に弱拍なのでどうしても違和感を生じさせてしまうのだ。しかしこの歌に関しては助詞からはじまることにあまり違和感を覚えさせない。その理由としては、まず全部の句において句跨りになっているという韻律上の問題があるから、もうひとつは「美しい」という本題に入っていくための意味的な転調の部分にあたるからであろう。
 現実の地図ということは架空の地図もあるということだろう。それはきっと「まみ」にとっての理想郷だったはずの世界の地図なのだ。自分の頭の中で組み立て続けた世界の地図よりも、現実の地図のほうがあらゆる空想を乗り越えてはるかに美しい。そう感じる時、その美しさは絶望になりうる。リアルは美しさという点からみてもファンタジーをゆうゆうと越えてゆく。それも美を目的として作られたわけではない地図のようなものが、空想にたやすく打ち勝つ。それは現実の世界がいかに巧妙につくられているかということを思い知らせてくれるとともに、現実の前に打ちひしがれていた「まみ」にとって絶望的な真実の宣告なのである。ファンタジーはリアルを超えられない。そのことを端的に伝えてくれたのがどこにでもある「地図」というありふれたアイテムなのである。
 この歌が含まれた一連「手紙魔まみ、うれしい原材料たち」は、冬をテーマにした連作であるとともに、「まみ」の家族が登場する一連でもある。家族は、「まみ」が拒否し続けた「現実」の代表的な住人なのである。そして「現実」は、つねに寒く厳しい冬の季節として描かれなければならないのである。