早坂類は1959年生まれ。東京デザイナー学院卒業。「詩歌」を経て「未来」に所属し、岡井隆に師事。1986年、「詩とメルヘン賞」受賞。1988年、第31回短歌研究新人賞次席。さらに1990年には「ユリイカの新人」に選ばれ、詩と短歌の両輪での活躍を開始した。1993年に第1歌集「風が吹く日はベランダにいる」を刊行。その後は「未来」を離れ、詩人や合唱曲の作詞家として活動していたが、2002年に第2歌集「ヘヴンリー・ブルー」を、2009年に第3歌集「黄金の虎(ゴールデン・タイガー)」を出した。
長らく短歌から離れていた早坂が短歌に戻ってきた理由は色々あるだろうが、枡野浩一の熱心なリスペクトもその一因かもしれない。第1歌集「風の吹く日はベランダにいる」(2006年に短歌ヴァーサスの誌上歌集として復刻している)は、痛みを抱えた感覚に満ちている青春歌集である。
ブティックのビラ配りにも飽きている午後 故郷から千キロの夏
<僕>というカタチをこえてあふれだす<僕>という名のうつむく<ひとり>
「中学まで陸上をやってた」橋本が小さく丸めるパラピン粘土
カーテンに水ぶちまけて愛想なくはじけているのをじっと見ている
悪いけどバイトはやめると言っている祐一が吸う十九歳のタバコ
じゃあまたなとミニバイクにまたがってアクリル色の風になる君
登場人物の名前が設定されている青春小説調の連作は千葉聡を想起させるものがある。技巧的に冴えた歌というわけではないが、その未熟さが逆に計算のうちであり、青春期の幼さゆえの痛みと不安定感をリアルに表現しているように思う。
ポケットに手をいれながらふわふわと誰のものでもないわたくしとなる
「どうでも良いことって僕は好きだよ、そういったもので回復したいな」
ほんとうはありとあらゆるひとたちが僕はしんじつ好きでした
十八歳の聖橋から見たものを僕はどれだけ言えるだろうか
目の中にふる雪を見ている僕の中にふる雪をみていろよ猫
何故僕があなたばっかり好きなのか今ならわかる生きたいからだ
朝、ユキが非常に抽象的な服装をして私を誘いに来た
カーテンのすきまから射す光線を手紙かとおもって拾おうとした
風を知る風をその身にすまわせるものだけがいま風を見ている
空千里ほろんだものが吹くような風の過去世(きおく)に僕はいますか
このような歌にみられる絶対的な生とアイデンティティの希求は、バブル期からその崩壊にかけての時代性の裏側の部分を切り取っている。それはたとえば消費主義社会の中で淘汰されてゆく弱者へのシンパシー、どんな栄華もいつかは消えてなくなるという無常観といった思想に支えられている。「風」のイメージは帰る場所を失い、居場所を求めてさすらう自己像に重ね合わせられている。
弱いもの、小さなものへのシンパシーは、自らが生きていることへの罪悪感へとつながっている。他者の犠牲によって自らの生が成り立つことへの罪の意識がみられるのだ。
はたはたと肉なびかせてばかりいる死はかわいそう死はかわいそう
あのひとがなにをいおうがあのひとはくるしいひとだきいてあげよう
三月の三日月なにもなしえない道のはたてのそらの切り傷
生まれては死んでゆけ ばか 生まれては死に 死んでゆけ ばか
与えあう 魂の家族 奪いあう 肉の家族 降る しぐれ雪
壊れてよ もっと壊れて どこまでも壊れ果ててよ 解体屋です
生きたかった世界が不意に燃えあがる幾億の生 幾億の波
宇宙一小さい花にごめんなさいと云えなかったので泣いたと思う
そしてその罪の意識は破壊願望や、死へのまなざしへと転換されている。第2歌集以降に顕著な傾向であるが、1989年に青木景子の名前で出された詩集「道の途中で」に収められている詩にも同質の罪悪感がある。「髪を切ったのは失恋じゃないよって/友達に言ったけど/一番かなしい理由で/君を見失ってしまった/私/あれからずっと/髪は伸ばせない」(「髪は伸ばせない」より一部抜粋)というフレーズは、青春の淡さとほろ苦さに包まれてはいるものの根本的には「他人の犠牲を引き受けて自分だけで生きていくことが許せない」という同質の感情からきているものなのだろう。
他者の痛みを敏感に引き受けることができるのは実はとてもつらいことだという思いが、早坂の描く透明なかなしみの背景にある。「他人の気持ちを想像する」と簡単に言われるが、実はとても残酷な言葉なのかもしれない。