トナカイ語研究日誌

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穂村弘百首鑑賞・57

  乾燥機のドラムの中に共用のシャツ回る音聞きつつ眠る

 第1歌集「シンジケート」から。「シンジケート」には同棲を思わせる歌が散見される。恋愛の社会化=結婚への恐怖を抱いていたのが初期の穂村弘であるが、同棲は許容範囲内だったようだ。この歌の場合「共用のシャツ」にさりげなく同棲が寓意されている。実際のところ男女でシャツを共用することなんてあるのか、あるとしたらいったいどんなデザインなのかと気になるが、「共用の」の一言が入っただけで穂村言うところの「くびれ」がきゅっとしまっている。「共用」の一語に謎が立ち現れ、一つのミステリが形作られているのである。
 この歌の舞台はおそらくコインランドリー。乾燥機のドラムがごんごん回る音を聞きながら、その音の規則正しさについついうつらうつらとしてしまったのだろう。シャープな都会の一風景である。「共用のシャツ」はふたりの共同生活の象徴である。「共用のシャツ」がドラムの中でぐるぐるかき回されているさまは、もつれながらはしゃぎまわるふたりの性愛の姿を暗示し、また社会の風にもまれて乾燥していくことになるだろうふたりの生活の行く手をも暗示している。湿ったシャツが生温かく乾ききったあと、ふたりの前には社会生活の洗礼が訪れるのである。その一歩手前の時間を、夢まどろみの中に生きている。それは街灯の光に照らされたような、やわらかで不自然にまぶしい都市の青春の瞬間である。

  朝の陽にまみれてみえなくなりそうなおまえを足で起こす日曜

 「シンジケート」にはこのような歌もある。「朝の陽にまみれてみえなくなりそう」というのは、ともに暮らす夢のような時間がもろくはかないものであることを示唆している。もろくはかない時間だからこそ、ガラス細工のように大切にいとおしむ。そういった思いが、都市の喧騒の中にありながらも静謐できらきらとした、魅力的な世界を構築しているのである。