トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその38・長岡裕一郎

 長岡裕一郎は1954年生まれ。2008年に若くして亡くなっている。東京藝術大学美術学部油絵学科卒業。1973年、浪人生だったときに三一書房主宰の「現代短歌大系」新人賞に「思春期絵画展」で次席に選ばれた。受賞者は石井辰彦であった。長岡はその後、2002年に俳句同人誌「夢座」の15周年記念句会で大賞を受賞するなど俳人として活躍しているが、短歌作品の発表はこの「思春期絵画展」のみである。歌集も出ていない。

  ギリシャ悲劇の野外劇場雨となり美男美女美女美女美男たち

 しかし、穂村弘が短歌をはじめたばかりの頃に衝撃を受けた作品としてこの歌をくりかえし引用していることもあり、歌集を出していない歌人にしては知名度がある。オノマトペと意味のある言葉を重ねるテクニックの嚆矢ともいえる一首である。
 「思春期絵画展」は寺山修司の影響が色濃いことが賞選考会の場でも指摘されているが、それ以上に画学生という長岡自身のパーソナリティが大きく陰を落としている。

  透視図法壊(やぶ)りしゆえに逃走すキリコの街で捕えよ少女

  真夏の展覧会クレエの絵にある黒き焦点に身を埋めたし

  青空にマグリットの月冴え冴えと「諧謔」は歩く恋愛海

  ポルト=リガトにて眠りたるダリの時計風媒花には無風の時を

  暖冬の室内にて孵す紋白蝶複製モネをこえ曇りガラスに

  ジョン・ブリアンにてつぶされるモデルの太股 美術研究所の冬

 画家の名前や美術用語を駆使してつづられる世界観は、ややペダンティックな趣もあるがそれ以上にどこかゴシック的なイメージがある。前衛短歌的な漢語の多用もそういう印象に一役買っているかもしれない。
 長岡の少女趣味的な嗜好が特に高まっているのが「不思議の国のアリス」に題をとった連作「アリス演技」である。

  赤き目で時を追いたる白うさぎその後ろ姿に秘めたるはなに

  バタをぬられ僅かに軋る恋時計アリスとわれのキ印パーティー

  赤ばかり並んでしまつた、アリスよバラを塗りかえる白をくれよ

  アリスと森かけめぐる夢よりさめて恋を占なえ、ハートの邪悪(ジャック)

  ひそやかに「アリス演技」を続けたり荒唐無稽をその聖書とし

 この連作に登場する「アリス」は非常にコケティッシュな雰囲気を放っている。「キ印パーティー」「荒唐無稽をその聖書とし」といった表現からみられるエキセントリックさへの傾倒は、どことなくサブカル的なところがある。「不思議の国のアリス」のキャラクターを借りているものではあるが、穂村弘の「手紙魔まみ」の源流はこの「アリス演技」にあるのかもしれない。

  悪い夏実験室の戸棚に林立するレンズ個々に焦点を結び

  ビーカーの劇薬優しく変色とげて香りをたてる化学室の春

  砂時計を倒して眠れジプシー女ルソーの月の昇る砂漠で

  原色のペガサス翔ける極楽図 あじさい色の堕天使礼賛

  青き目の少女失踪バラ図鑑のページを開く春風もなく

  書きためし創作童話は置き捨てて明日はたずねよ産院の友

  バスケットに仮面いれたるピクニックいともたやすき初恋ゲーム

 若書きの作品ということもあってか、技術的に未熟な歌もいくつか見られる。しかし、全体的には非常に技巧的な歌が並んでいる。傾向としていえるのは、極彩色のイメージが多いということである。ビビッドな色彩が天然色映画のようにぱたぱたと切り替わっていくような作風は、塚本邦雄とも微妙に異なる個性でありかなりの魅力がある。また、「悪」や「堕落」への傾倒をみせるデカダンな雰囲気も特徴である。単純に浪人生の不安がそういう退廃ムードを好ませたのかもしれないが、まさに19歳だったから書けたような一連であった。短歌というのは文学経験のいかんを問わず誰しもが歴史に残る一首を生み出すことが可能な詩形なのである。青春の一瞬のきらめきが、長岡の歌にはみごとに掬いとられている。