喜多昭夫は1963年生まれ。金沢大学教育学部卒業。同大学院教育学研究科修士課程修了。「中部短歌」にて春日井建に師事。1986年、「母性のありか−女流歌人の現在」 で第4回現代短歌評論賞受賞。現在は金沢の結社「つばさ」の主宰。現在も生まれ故郷金沢に居住している。第一歌集「青夕焼」は1989年の刊行。俵万智らによるライトヴァースの隆盛を背景に世に出た、青春歌集の傑作である。
オレンヂを積む船に手を振りながらさびしく海を信じてゐたり
ひとりだけ横向く卒業写真あり自分を追ひつめることの清しさ
吉沢と肩を並べてコの字型の校舎の窓から眺めた夕陽
背後より君を擁けば海原に葡萄の房のごとき雲見ゆ
泣かないでこつちへおいでよコインロッカーにセーラー服を隠して
みつめあへば抱きしめたいと思ふだらう季節はづれの海に来てゐる
これらの歌から受ける印象は、繊細さゆえに進んでゆく精神の荒廃である。尾崎豊の歌や漫画の「ホットロード」がついつい連想されてしまう。暴力と喪失の香りをまとったまま破滅と絶対的な愛を希求するような刹那的な美しさがある。華やかなバブル期の裏側にあった傷つきやすい青年たちの苦悩。それは時代の空気を濃厚にうつしとっていたものだったのかもしれない。
定時制高校生が地下道の壁にスプレーで書いた「あをぞら」
青空にレモンの輪切り幾千枚漂ひつつも吾を統ぶ、夏
白衣着て駆けあがりきし屋上に空飛ぶ鯨をわれは思ひき
海の辺の電話ボックスにて君はうつくしかりし夕映えを言ふ
もうひとつ、喜多の特徴といえるのが非常に巧みな本歌取りのテクニックである。寺山修司、岸上大作、岡井隆らの歌を下敷きにしていながら、80年代末期の空気感を再現している。
しかしこうした技巧的で美しい歌をつくれる力を持っていながら、わざと変な歌、かっこ悪い歌を織り交ぜてくるのである。
どこからが頭なのか分からねどなでなでしたきこの大海鼠
半透明レジ袋ゆゑうつすらと中身の見えてこれはアボガド
あなたしかしらないやうな樹ですからこえだにふれるとき気をつけて
こういった歌は意図的に詩情をゆるめている。なぜそうした歌を混ぜるのかというと、伝統や歴史性といったものに敬意を払いつつもどこか挑発をしてみたいという気持ちがあるからかもしれない。「青夕焼」に寄せられた師・春日井建の跋文には、与謝野晶子の本歌取りとして大胆な歌を歌会に提出してきた喜多のエピソードが紹介されている。どこからが頭なのか分からない海鼠は、喜多の自己像であると同時にどこにはじまりがあるのかわからない歴史性の象徴なのだろう。
それを思うと、清新な青春歌や巧みな本歌取りも歴史的なもの・伝統的なものへの懐疑があるように思えてくる。すぐれた抒情の風景を切り取りながら、その風景が先にあったのかそれともそうした風景に抒情を感じる伝統が先にあったのかがはっきりとわからなくなってくる。抒情というものが、同種のサンプルを再生産して消費していくばかりではないかという疑問が生じてくる。そのアポリアから抜け出すためにあえて少し「ずっこけた」歌をバランスよく混ぜているように感じるのだ。
抱擁をしらざるいもうとの胸のくぼみに青きレモンを置かう
ブラウスの胸ひらきつつ道造の十四行詩(ソネット)がとても好きなんだつて
きみの胸のふくらみに目をそらすときプールサイドに碧きしみ見ゆ
強く君に打ち寄せる波になりたくてその唇を噛んでいたのに
花降れば花かと思へうつそみの君がセーラー服を脱ぐ季(とき)
君といふ魚住まはせていつまでも僕はゆるやかな川でありたい
喜多の紡ぎだす、こうしたきらきらするような青春歌を私は愛してやまない。しかしきらめきばかりではない、時折鈍く反射するペーソスの苦味をも味わわせてくれるところが一筋縄ではいかない喜多の個性なのであろう。