久山倫代(くやま・みちよ)は1961年生まれ。愛媛大学医学部卒業。在学中より朝日歌壇に投稿を始め、1991年に「かりん」に入会。第1歌集「夏のバッカス」は1993年に刊行した。本職は皮膚科の医師である。
「かりん」に入会したのは29歳のときであるが、作歌を始めたのはそれよりずっと前、23歳の学生時代だったという。第1歌集にはその学生時代の歌も多く収められている。
初めてのプラチナうれしはめたる指講義受けつつ何度も触れぬ
科学誌にそっとはさみて渡したる小説は読まず君返し来ぬ
遠心機回せる君の背にありて冬の星座は静かに巡る
コンコースに菊の花びら 今年もまた解剖実習終わりて盛夏
文字盤の白輝けり新しき時計をおろす秋晴れの朝
思い出す語彙集ぶれば友情に紛れて若干陽性の愛
相聞歌の目立つ青春歌集である。ピュアで清潔感のあるごく普通の青春歌なのだが、舞台が医学部であるというのが最大の個性となっている。医学部生の日常と恋愛というだけで、普通のキャンパスものに特殊性が帯びてくる。門外漢の目をひくには十分な個性だろう。
自分史の忘れたくない地点から一度も変えていない髪型
君が行く険しき道の一点に医師我がいて刺青を削る
共有の青春を今日終わらせて貴女が鳴らすウェディングベル
外科医から君がひらりと休日の青年になる青い自転車
手料理の返しはミスタードーナッツ結局真面目な男と思う
他人(ひと)の血をぬるいシャワーで流す時何かかなしい職業である
医師の青春というテーマはなかなか面白い。もちろん医師だといっても一般人と同じような日々が大半なのだろうが、「外科医から休日の青年になる」「手料理の返しはミスタードーナッツ」といった何でもないように見える情景がいっきに大きな存在感を増すように感じられる。漫画の「動物のお医者さん」のような特殊な学部のキャンパスライフものはいつの時代も人気があるが、久山の歌集もまたそれと近しい楽しみ方ができる。
おとせるかおとせるか君わが胸の水平線を言いあててみよ
柑橘を食めば顕ちくるプリーツの折り目正しき頃の相愛
向日葵の一途さよりもこの夏は白き木槿の矜持眩しむ
弧を描くテニスボールの見える部屋「以前」「未満」の私が暮らす
オムレツを焼く匂いして朝の陽はドアの把手を温め始めぬ
口づけはうなじと決めて待ちおれば君さ牡鹿となりて訪い来よ
もちろん、「医師の日常」という設定を離してもいい歌として読めるものも少なくない。時間の流れに点を打って記憶としてとどめようとするような歌が目立つ。「以前」「未満」という表現からも、久山は自己の存在を非連続体と捉えているように感じられる。「自分」は時間ごとに区切られて無数に存在しているのだ。そして、日常の中に無数に埋もれている「過去の私」や「未来の私」と接することに、それなりに楽しみを覚えているようだ。クールすぎずウェットすぎない独特の青春歌。その空気感はこういった世界把握から来ているのだと思う。