新城貞夫は1938年生まれ。琉球大学法文学部卒業。名前でわかるとおり沖縄出身で、1961年に沖縄青年歌人集団に参加。「野試合」「鳥」に作品を発表したのち、1965年に個人誌「狩」を創刊した。歌集はいずれも入手困難であり、今回は三一書房「現代短歌大系」の新鋭歌人特集に抜粋された作品を下地に引用する。
沖縄文学の層は厚い。小説でいえば大城立裕、目取真俊、又吉栄喜、池上永一。詩でいえば山之口獏がいる。しかし短歌で沖縄を描こうとする人は少ない。渡英子の評論「詩歌の琉球」には山城正忠という石川啄木とも交遊があった沖縄出身の歌人が取り上げられているが、ここでは紹介は措く。ウチナンチューとして沖縄を必死で描き続けた歌人というと、やはり新城が筆頭にあがってくる。
十月の危機いたるともアジアには風に吹かれて祭られる死者
テロリスト太古もやさし若妻を恋いつつ海を映しすぎる空
黒人の蜂起近づく真夏かも池は電柱逆さに吊りて
ああ革命、喰いつぐ奴ら憤(いか)りつつ六月の死は美化されやすく
指名手配されし男ら来て眠る地下室われの翼とじこめて
地下室の壁にわれらを張りつけて押ピンは血の革命叫ぶ
赤旗が高鳴る胸に唇(くち)あてし人妻砒素の匂い放てり
1963年の第一歌集「夏・暗い罠が…」からである。濃厚に革命の匂いが立ち込めていることに気付く。おりしも安保闘争の時期である。沖縄生まれというバックグラウンドを背負い、米統治下の沖縄に育った。そのことが革命思想へのシンパシーを呼び起こすことは想像にかたくない。四首目の「六月の死」はおそらく樺美智子の死のことであろう。
注目すべきなのは、革命思想とエロスが絶妙に混じり合っているところである。「若妻」や「人妻」は、もう自分には届くことのできないエロスの対象である。理想郷を求めての革命は若者が人妻を恋い慕うようなものだという複雑な心情にも囚われていたのかもしれない。自由と平和を希求することと、報われない欲情を抱くことが同一視されている。これが新城のポエジーの根幹をなしている。
婚姻の季節 屋上に熱帯魚飼う青年め薬の匂いして
軍用路縦横無尽に截りて冬、神話のかなたの黒人の微笑
まさぐりて冬を少女は指長し標本室に蝶を凍らしむ
マニュキアを染めし妹の爪噛むはかの若者を知り初めしより
レモン水透きて真紅の果実浮べ胃腑よりわれの軽き眩暈は
一枚の蝶追いつめし少年の胸うすくして義母がいだきぬ
デパートの集配係に愛されてマネキンの血の古びたる色
ほおずきの実を噛む少女を夕焼の野より拐えりわが旅芸人
楽器店に若ものの白がねの脚。亜麻いろに腋香匂う少女と
新城の短歌には塚本邦雄の影響が色濃い。こういったいかにも塚本的モチーフを使いこなした青春歌も多い。塚本にはなくて新城に目立つモチーフというとなんといっても「黒人」である。沖縄生まれの新城にとっていかに黒人が身近な存在であったかもさることながら、被抑圧者どうしでありながら決して連帯しえない存在である沖縄人と黒人の関係への鋭い考察がみてとれる。
革命思想に傾倒しつつも、それが青年の人妻への思慕のようにはかないのだろうという新城の予感は的中する。1971年発行の歌集「朱夏」では自らが思想的敗者となったことをはっきりと認めるような歌がある。
右翼には政治、左翼には欲情の樹々そそり立つ低き町並
群衆の思想越えぬゆえ組織者も市民たり得きオハヨウ・ニッポン
ビラくばる肩よりひかる海見えて破船のごとく垂れている旗
一枚の蝶まなかいをよぎるときたたかいにわが敗ると知りき
祖国より鳩を愛して青年は幽暗のごとく吃りき 夏を
みぞおちに赤き裂傷ある夏は国の滅びをわが謀りいき
左翼の理想はそれこそ「欲情」だった。たたかいに敗れた青年に残された手段は、「祖国より鳩を愛する」ことなのかもしれない。鳩は無論平和の象徴であるが、祖国を超えた平和を追求しようとする理想を口に出そうとしても吃るしかなくなってしまう現代になってしまった。革命の季節は、戦後日本の青春だったのかもしれない。日本という国が青春期を終え、成熟していく季節。それが「朱夏」である。本土より一足早く夏を迎える沖縄には、戦後日本の青春の終わりもまた一足早く訪れたのだろう。青春は熱い季節だという。しかし真にうだるほどの熱をはらむのは、青春が終わった後の「朱夏」なのだ。