トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその9・盛田志保子

 盛田志保子は1977年生まれで「未来」所属。加藤治郎に師事。早稲田大学第二文学部在学中に、水原紫苑の短歌実作ゼミに参加したことがきっかけで作歌を始め、2000年に『風の庭』で短歌研究社主催「うたう」作品賞を受賞した。この賞には、今橋愛(当時のペンネームは赤木舞)や佐藤真由美も入選している。第一歌集『木曜日』は2003年に出版された。歌の特色としては、日常の中にファンタジーを見出そうとする少女のとりとめもない空想といった趣である。

  世の中でいちばんかなしいおばけだといってあげるよまるかった月
  藍色のポットもいつか目覚めたいこの世は長い遠足前夜
  幻想よたとえば人と笑いあうこと肩と肩を溶かしあいつつ
 これらの歌には、無力感・不全感がある種のメルヘンというかたちで表現されている。自分の中のやりきれない気持ちを、空想というかたちで整理しようとする歌である。このような思いは普遍的なものといえ、とても共感できる。
 しかしその一方で、ファンタジックな空想の世界が濃厚な「死」の香りとともに描写されるのも特徴である。これほど世界が「死」と隣り合わせであることに自覚的であるのは若い歌人としては珍しい。

  息とめてとても静かに引き上げるクリップの山からクリップの死

  トランプを切るとき黒い落ち葉降る一人一人に黒い落ち葉降る
  今を割り今をかじるとこんな血があふれるだろう砂漠のざくろ

 死は山積みのクリップのようにありふれていて、落ち葉のように誰にでも降りそそぐ可能性がある。「砂漠のざくろ」が寓意するものは、乾きの中にある心臓だろう。どんなに無力感や不全感を感じようと確かに自分は生きているというリアルがあり、傷をつければ血は流れる。その現実の重みを引き受けることも忘れようとしていないがゆえに、決して甘口ではない、砂を噛むような苦みのあるメルヘンを紡ぎ出すことに成功している。

  潮騒」のページナンバーいずれかが我の死の年あらわしており  大滝和子
  兜虫幼虫セットの宅配に「命の保証は配達日まで」  中川佐和子
 盛田と同じ「未来」の女性歌人が詠んだ、濃厚に「死」を意識した歌である。ともにリアルな生活の中から発見された「苦み」であるが、盛田の歌はメルヘン的でありながらこれらの歌にも匹敵する「苦み」を与えているようにも感じるのである。「短歌ヴァーサス」5号にて大野道夫は『木曜日』をこう評している。「つまり私にとって『木曜日』がコワイのは、不思議な世界を創り上げているからではなく、世界の不思議を見すえる、少女のまっとうな視線がコワイのである。」。盛田にとって「不思議な世界」は逃避のために創造されるものではない。すでにあるこの世界そのものがもう不思議で不条理なのであり、その不条理さを「少女」の感性で素直に言葉にするとこういうかたちになったというにすぎないのだ。

  見ぬ夏を記憶の犬の名で呼べば小さき尾ふりてきらきら鳴きぬ
  廃線を知らぬ線路のうすあおい傷をのこして去りゆく季節
  海水に耳までつかり実況のない夏休み後半に続く

 その一方で、これらのようなノスタルジックで瑞々しい青春歌もある。「後半に続く」は「ちびまる子ちゃん」のナレーションのパロディだろう。死を想う「苦み」と青春の記憶の「痛み」。読者の感情を巧みにコントロールする技巧は、確かな才能と言えるだろう。