トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその8・今村章生

 今村章生は1981年生まれで「まひる野」所属。アンソロジー「太陽の舟」によると、小説家を目指して文芸系大学に進学したが、気が付くと短歌ゼミに所属していたという。そこで島田修三の指導を受け、作歌をはじめたそうだ。おそらくは島田が教鞭をとっている愛知淑徳大学であろう。
 「まひる野」は窪田空穂の流れを汲む伝統派の短歌結社であるが、今村の短歌は少し趣を異にしている。彼の作品を語る上で、師である島田修三の影響を外すことはできない。 島田修三は万葉学者で大学では副学長という重職にあるが、こと実作になると露悪と毒にまみれた過激な歌になる異色の歌人である。たとえばこんな歌だ。

  システムにローンに飼はれこの上は明ルク生クルほか何がある  島田修三

  女房のコブラツイスト凄きかな戯れといへ悲鳴ぞ出づる
  昔むかし焦がれたる娘の糖尿を病むらしそんなもんだぜ月日は
 自分を含め周囲のすべてを笑い物にしようとする毒のある短歌である。しかし修辞への凝りようは卓抜であり、該博な古典知識を生かして古典和歌の〈雅〉の技巧を狂歌的な〈俗〉の世界に持ち込もうとする野心的な実験性が垣間見える。そして今村はこの島田歌学をもっとも正統に引き継いでいる歌人といえる。その歌はやはり過激で露悪的であり、「ブルーハーツ」などのパンクミュージックを思わせるスピード感、爽快感がある。こんな歌によく特徴が出ている。

  われこそはわれこそはというカラオケの部屋で膝でも抱えればひとり  
  乙女座、けんこううんぜっこうちょう 山羊座、はやくしんでください

  世界中爆発したよ でもあそこの角のところにコンビニあるよ

  自殺志願者専用マンション造られて耐震偽装で居住者キれる
 いずれも世界に対するどうしようもない苛立ちが表現された「不機嫌」な歌である。重くならないようにブラックユーモアで味付けをしてあるが、がんじがらめになった既成の世界に飽き飽きしているという様子が見て取れる。まさにパンク歌人である。
 そんなパンク精神を持った青年が伝統詩である短歌で縦横無尽に暴れまわるというところが短歌詩形の面白いところであるが、実のところ今村には積極的に短歌の伝統につながっていこうとする姿勢がみられる。これも師である島田と共通する部分である。

  ローソンの灯りが消えて見上げればぬばたまの夜にエノラ・ゲイ二機

  アホの犬みたいに小首かしげおるこの童顔は俺の女ぞ
  ニッポニア・ニッポンいまやキューバにて殖えているらし さよならニッポン!

 「ぬばたま」は「夜」にかかる枕詞であり、古典和歌の技法をいたって正しく使用している。そしてそれに続くのは原爆を投下したエノラ・ゲイ。今村は「すべてが破壊される」ことへの夢想を抱いている節があり、原爆はそのような破壊幻想の象徴である。また、「ニッポニア・ニッポン」という日本を象徴するような学名をもったトキがキューバで繁殖しているということを聞いて「さよならニッポン!」と叫ぶ清々しさの裏側には、自分が日本の伝統詩形をその手で担っている一人だという自覚に立ったうえでの複雑な心境が読み取れる。「伝統」と「破壊」とのせめぎ合い。そんなパンク歌人のジレンマがまた「不機嫌」となって、定型の中に言葉を爆発させているのである。