トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその188・藤田武

 藤田武(ふじた・たけし)は1929年生まれ。「潮音」「環」に所属。岡井隆塚本邦雄らとともに前衛短歌ムーブメントの中で注目を浴びた歌人の一人であったようだ。「現代短歌大系10」の現代歌人作品集に「反涅槃(ニルヴァーナ)へ」という作品が収録されている。今回はそこから引きたいと思う。

  あやうきまで綾なす朝をひきよせるわが掌にあわく雛鳥は死す


  よるの坂のぼりつめゆく灯のあまたするどきゆめのさわだつに似つ
  

  やすやすとうみおとされる忌のはてのわが日常の奇形のものら


  空よりの螢よわよわしきひかりなげ悲惨を知らぬ朝(あした)に死せり


  やわらかきやみをはしれる死児たちの炎にわかるひときれの肉


  きららなる魔ももつゆえに閉ざさるる睡りのゆめの野に母呼べり


  狂おしく紫陽花いろのかなたより夢に降れるわれやあやうし

 幻想的かつ音楽的で、「死」をテーマとした歌が多い。そして「死」と「夢」はとても近い場所にあるものと捉えているのだろう。残酷な漆黒の世界が描かれているが、きらびやかな美しさもまた兼ね備えている。

  桃の木に縛りえしものなにもなし蒼き空映ゆ空の極みよ


  日日の翳負える時すぎ没しゆく終末にふたたびは血噴け緋桃よ


  越えんとするおもいはふかく桃の木のはなびらのなかきらめく恥は


  中空にあえかなる桃のつぼみある炎(ひ)の夕ばえや水の夕ばえや


  春暁(はるあかつき)なべては物象(もの)のよみがえり空なる緋桃反りてしばしよ


  白桃の白毛そよぐ昧爽(よあけ)きてわが地には父の子殺し子の父殺し

 「桃」の歌が非常に目立つ。ここまで一つの果実を繰り返しモチーフとするのは珍しい。桃は中国原産で、邪気を払う力があると信じられてきた魔法の果実である。しかし藤田は桃を「血」のイメージとたびたび重ねている。桃の「魔」に魅入られ、その魔力を血へと変えてしまうようなおどろおどろしい世界観を想定しているのかもしれない。


  反戦の拳(こぶし)くりかえしつきだすと肉体によせるわが韻律法(プロソディ)


  ふゆのはな咲きては地獄の頌歌(オード)聴く遠き獅子座のひかりはこぼれ


  遠ざかる闇の祭りのベトナムよひきつりてなおにがき咽喉(のみど)


  渚には暗き紅さす海髪(おごのり)のうちあげられてまどろみに見ゆ


  茜雲ひととき淫らにやみに消え手は人蔘をきざみていたり


  ざらざらにこころただるるひとときを火に灼かれゆく二十数匹の豚

 
  眼をあふれうち騒ぎいる穂にかくれ地中の火跡(ほと)のもえたたんとす

 「反戦」「ベトナム」といった単語から、この作品がつくられた時期がベトナム戦争と重なっていたのだろうことがわかる。しかし短歌全体がベトナム戦争を背景としているとはなかなか読み取りにくい。「火」のイメージに満たされた世界観は、単に戦争ばかりではなく人生そのものを取り囲む業火を見つめているように思う。燃え盛る地獄として現世を見る視線は暗く、それでいて格好いい。ロックな美学として味わえる歌である。