トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその189・原田禹雄

 原田禹雄(はらだ・のぶお)は1927年生まれ。京都大学医学部卒業。塚本邦雄寺山修司岡井隆、春日井建らよりすぐりのメンバーに声をかけて創刊した歌誌「極」の同人の一人だった歌人である。「極」終刊後は「喜望峰」などに依った。「瘢痕」「錐体外路」といった歌集がある。
 経歴の通り本業は医師であり、医学をテーマとした作品がある。

  青き獄衣のままなる物体が搬ばれぬややありてホルマリン槽に落下する音


  Der Hingerichtete を刑屍と訳すべくその語夥し人体組織学図譜


  われの記憶に冷たくして確かなるものツルゲーネフ逝去65歳脳重量2012g


  ひそやかに野づらの風のかようとき葡萄は秘蹟の血となりてゆく


  夕されば貧しく黄なる陽がさしてわが屋根裏に恋う聖キアラ


  夜光虫が放ついくばくの光量子その頬に浴び寝ねつつありや


  ピラミッドケーキ安らかによこたわり裏銀座は午後二時を数分過ぐ

 ホルマリン槽と死体という取り合わせには大江健三郎の『死者の奢り』がイメージされ、そこから派生したという説のある都市伝説にも連想が及ぶ。これは医師のリアルな生活描写ではなく、むしろ生と死のあわいの異界的な世界観の描出だろう。死の瞬間に物体と化す人間の業や、キリスト教的なイメージを用いた幻想歌にも、個性があらわれている。


  サモサタのパウロスを愛したる少年のなれのはてなる髭を剃らん


  風立ちて ite missa est(ゆけ ミサ おわる)とつたうとも限りなし空地に舞うフラ・フープ


  枕辺に husky voice 不意に来て冷たき体温計をふふましむ


  インターホーンのコードはベッドに纏絡しやさし聖冠の Zizyphus よりも


  聖エメランシャン髪のけ赤く眼は青く睫毛は鹿子色にしてはにかみや


  ライ麦パン抱きおさなご泣きじゃくるなべて地の上に故郷なし


  リベカを娶りその妻となしこれを愛したりナナカマドかまどにくすぶるときも

  西洋的な絢爛の美学に満ちた世界観である。その一方でたまに「フラ・フープ」や「インターホーン」などの現代的モチーフも登場する。ときに神話的であり、ときに少年愛の世界のようなデカダン的な華美さがある。

  串ざせる鰍(かじか)累累と乾く夜をおんみの父はおんみとねむる


  妊(みごも)れるマリア納(い)るるを怖れたるヨゼフ離別し得ざりしヨゼフ


  P:僧侶ト救世軍士官 f1:癩医ト教授秘書シカシテ f2 トシテノワレ


  C3Hを帝王切開により生ましめてC57BLより貰い乳せるMus C3H/He


  父が死ニワレが死ニワレノ子モ死ナンナベテ神羔誦ヲ憎ミテ


  惨惨ト罌粟子ヲクタス園ニ来シ父ト父ノ手ノでぃおにゅしおす偽書

 これらは「香菜子よ」と題された連作のなかの歌である。「C3H」などの数字の部分は実際はアルファベットの右下に小さく添えられて表記されている。どうやら生まれてきた娘に贈る一連らしいのだが、誕生への祝福というテーマでこういった歌を作ってしまえること自体がそうとうに異色である。そしてその徹底的に突き詰められた美意識の鋭さに感動と恐ろしさを覚える。感情を表現する言葉をできる限り用いずに、「生」に肉薄している。そんな印象を受けてしまうのである。

天刑病考 (1983年)

天刑病考 (1983年)