トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその117・吉田正俊

 吉田正俊は1902年生まれ、1993年没。東京帝国大学法学部卒業。1925年「アララギ」に入会し土屋文明に師事。いすゞ自動車に勤務し重役まで上り詰めるかたわら歌人として活動し、1975年に『流るる雲』で読売文学賞、1988年に『朝の霧』で迢空賞を受賞した。
 高度成長期に自動車産業に生きた吉田は、土屋文明の影響下にあり社会を無骨に見つめる視点を持つ。しかしその表現方法は文明のようにごつごつとしてはおらず、意外と清新でさわやかな抒情がある。

  潮騒は夜の空気に近くひびく話を止めてのろき汽車の中
  春草にもゆる空地をよこぎりて柱時計鳴る家に帰れり
  草陰に赤き砲身の錆びて見ゆ戦なくして鹿尾菜(ひじき)乾したり
  麦の香にまつはる遠き吾が思ひおぼろになりて中々に消えず
  くれなゐの花粉(はなこ)こぼるる庭の上に差す月光(つきかげ)の長くひきにけり
  一山に積みし生姜の影もちてしづけき光北よりぞ射す
 誠実な歌、という印象がある。だがよく味わってみれば甘やかなロマンティシズムも湛えている。素朴な田園風景がしばしば描かれるが、これはやはり思い出の故郷の風景なのだろうか。なんだか遠い夢のなかのような雰囲気である。

  おのづから時に仕事に争へどすでにまとまりし組織の中にゐぬ
  生温き風吹く中に思ふこと思へるだには人に知らえず
  考へにすでにともなはぬ肉体か暁(あかつき)早きひぐらしのこゑ
  繭虫を飼ひたるころの君を思ふいつを思ひても及び難きかな
  考へはこの現実に限定し吹きしなふ百合より花粉をこぼす
  はかなしといふ語彙などのなくならむ未来のことは思ふだに楽し
 「考える」歌が妙に多い。これに限らず、吉田の歌は「今ここ」に凝り固まったまま決して自らの身体を動かそうとしない。ただひたすら見つめ、考え、怒りや喜びを感じ、ときに懐かしい過去の思い出に心を馳せる。徹底的に身体に激情が走ることを食い止めている。これはおそらく自らの精神の独立性をあくまで信じ抜いているのだと思う。感情を身体をもって表現しないというのは現代ではもう歓迎されなくなっているかもしれない。しかしあくまで精神と身体を切り分けることが、戦中戦後を生き抜いた実直で典型的な企業人の美徳だったのだろう。

  あらそはず二人ありつつ或る時はこのしづけさに堪へざらむとす
  文字読みがたき境界石立つところよりやや広くなりてゆく冬の水
  幾年か使ひなれたる耳掻の折れしを一日かなしみにけり
  地震(なゐ)ありてゆるる机の上の花青葉ぬきいでしくれなゐの花
  日のあたる敷石に来て背伸びする猫あり今日のわが心の友
 こういったトリビアルな歌も多く、本当に楽しんで詠んでいたのはこういった生活詠だったようにも思う。だがこれらの歌にもまた吉田の歌の本質である「抑制」が重要なテーマになっている。つねに現実や組織との厳しい戦いに晒されながら、ストイックに激情を抑制し続ける。抑えつけられる激情を慰めてくれていたのは、きっと故郷の田園風景というノスタルジアだった。これもまた、芯が強くしかしあまりに悲しい戦後人の肖像だろう。

草の露―吉田正俊歌集 (1976年)

草の露―吉田正俊歌集 (1976年)

流るる雲―歌集 (1975年)

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天沼―歌集 (短歌新聞社文庫)

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