笹原玉子(ささはら・たまこ)は1948年生まれ。中央大学中退。1986年より「玲瓏」に所属し、塚本邦雄に師事。『南風紀行』『われらみな神話の住人』といった歌集があるほか、『この焼跡の、ユメの、県』という詩集もある。
歌集『南風紀行』では塚本邦雄が解題にて〈良質の不可解〉というタームでもって作風を総括している。確かに笹原の作品はリアリズムではなく、かといってファンタジーというのもまた違うように感じる。まさに「不可解」なのだ。
とびきりの恋愛詩集一冊で世界史の学習は終はつた
数式を誰より典雅に解く君が菫の花びらかぞへられない
赤色の肺室をもつわたしたち、あを、おもひきり青にあくがれ
墓碑銘に書く死亡時刻「ゆふぐれが扉のまへに着いたとき」
君の渇きが増してゆくとき南方の町のどこかで水位がさがる
縞馬を縞目にそひて塗り分くる そこまで来てゐるか動乱は
一行きりの幻想譚という性格も強いが、破調も交えながら韻律を自在に操ってゆく音楽性の高さも魅力となっている。笹原の描く世界はまさに南方のどこかにある見知らぬ国の出来事のようである。
ひかりの渦に沿ふやうに設計された螺旋階段空のはてまで
孤児がうつくしいのは遺された骨組みから空が見えるからです
光年の彼方より見し地球とはもはやひとつのちひさな傷痕
私のために軌道を変へる星はないか丘のうへには哀愁がいつぱい
星型の入江をかこむ港町死ぬ方法はいくらでもある
そのかうべ海に掲げて半島はおもふ うしなひたる半身を
笹原の歌はスケールが大きく鳥瞰図で地形を見るような巨視的な視点が特徴的である。「遺された骨組みからのぞく空」というのは笹原の短歌観をもっとも象徴している言葉だろう。世界から虚飾どころか本質まで剥ぎ取られた地点から、初めて見えてくるもの。それこそが笹原にとっての「美」のあり方なのだろう。
輪になつて空を見上げるそのために丘は曲線でつくられてゐます
地球のたつたひとつの遺言は簡潔です「くりかへすな」
五月の風が通つたあとでまつさきに第一ヴァイオリンをはじめてください
みんなみのましろき町はあかるくて目隠などして遊んでゐます
月桂樹のしたでルカ伝を読むことが夏季休暇の宿題です
こうした「です・ます調」や丁寧語を用いた口語歌が多数みられるのも特徴である。こうした口調は対話相手への尊敬の意という高度なコミュニケーションが図られていることを意味する。しかし具体的な誰かに言っているというよりも、不特定多数に向けた預言の言葉のような印象も受けるのである。歌のなかに満ちている心地良い「不可解」の本質は、預言にあるのかもしれない。世界の本質を言い当てているのかもしれないと思えるような不思議な魔力を持った言葉は、いつだって「不思議な言葉」としてしか読者の前にはあらわれないのだろう。
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