トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその64・小野寺幸男

 小野寺幸男は1938年生まれ。「未来」所属。岩手県に生まれ、高校卒業後上京して肉体労働に従事した後、タクシー運転手を生業としていたという。1980年に第1歌集「樹下仮眠」を刊行している。
 まず目を引くのが、タクシー運転手としての職業詠である。きつい仕事であろうことは容易に想像できるが、それ以上に「都市をかけめぐる流浪の労働者」としてタクシー運転手を捉え、また自己を規定している。

  ホテルより帰る娼婦とわが知れど乗せつつ蔑むこともはやなし

  黒き湾抱きて眠る東京を戻る未明の稲毛より見る

  朝靄のかすむ貧区に降りゆきし男娼が今日の最後の乗客

  並べ駐め仮眠するタクシーの列に吹き芽吹きなまぐさき墓地よりの風

  駐車して暁を仮眠せんウインドにあたかも見えて冬の群星

  首のべてクレーン幾基か眠る街明けゆく空は烏賊の肌の青

  樹の下に駐めて寝しかばボンネットに落ちて溜まりし白き栗の花

 タクシー運転手にとっては夜から夜明けにかけてこそが自らの生と向き合う時間帯なのだろう。昼間働く人間とはまったく違う世界を見ながら生きているのである。この詠みぶりは、まるでタクシー運転手が帰るべき場所を失って車とともにさすらい続ける遊牧民であるかのようだ。そしてそのような詠みぶりは、下層階級に育った小野寺自身のバックグラウンドに深く関わっているのだろう。「娼婦」や「男娼」に向ける眼差しも、どこか同情的で優しいものである。
 東北の貧しい家庭に生まれ、上京して肉体労働で生活するという環境が、プロレタリア的な雰囲気を醸成するのは自然なことであろう。しかし、小野寺の場合「故郷を喪った」という思いがリリシズムを生んでいる。

  いまだ相馬の少女でありしわが妻に恋いされし幾たりかの青年あわれ

  まがなしき東北に生(あ)れ土に這い子を生(な)し老いき病みき縊れき

  啄木を見よ書くことが唯一の思想を遂げてゆく例を見よ

  「小野寺」は岩手県南に多く百姓と沁みて思うは何時ごろよりぞ

  たましいが鳥となってまで帰りゆく場所を故郷というのだ妻よ

  農政を言うなら言えと員数外の峡に幾代かはりついている

 小野寺は母を自殺で喪っているらしく、その経験が歌の背後にびっしりと貼りついている。小野寺にとって母と故郷東北とは同一視できる存在であり、母が自ら命を絶ったことで故郷もまた消滅したという感覚を持っているともいえる。小野寺が次に帰郷することができるのは、「たましいが鳥となって」空へと消えてゆくときなのである。東北人の象徴としての「啄木」の姿もまた、生身の肉体を失ってテキストの中に生き続けていることを選んだかのようだ。

  ぬばたまの夜に向かって音階をたどるつたなき海へのギター

  風景はたちまち消えて桜木の下のひとりに降るさくらばな

  麦ながらほのかなる香よ抱くとき女童ながら日に蒸れし髪

  釣船草エロスの花よいざさらば行かば下界の朔日よりの汗

  階段でわれはたちまち追い越さるオリーブ・オイルのような女に

  巨峰という葡萄一房眼前の一粒(いちりゅう)一粒のあけぼのの紺

  書きながらうつぶすのだと聞きしさえはや追憶とよぶべくなりぬ

  獅子王の男がゆたに渡り来る本郷三丁目寒野といえや 
 故郷を喪失した流浪者の歌であることは、自然と無頼派の香りを帯びてくる。孤独と悲しみを背負いながら生きる姿がダンディに描き出されている。またエロスの歌が多いところも注目すべき点だろう。母の死、故郷の死を背中に隠し持った身体は、エロスを通じてその生を回復させようとしている。小野寺の歌もまた出奔者の歌であるが、決して生命力とをバイタリティを失ってはおらず、適度にぎらぎらした部分も保っている。そこに魅力があるといえる。