トナカイ語研究日誌

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穂村弘百首鑑賞・64

  「童貞に抜かせちゃ駄目よシャンパンの栓がシャンデリアを撃ち落とす」

 第2歌集「ドライドライアイス」から。「聖夜」という一連に含まれた、クリスマスらしい(?)一首。会話体の歌は穂村弘の得意とするところである。この「聖夜」という一連で綴られているのは、クリスマスをテーマにキリスト教に象徴される宗教的権威を笑い飛ばして二人の世界をつくりだそうとしている恋人たちの姿である。「消費主義的資本社会の肯定者」という側面ばかりが語られがちな穂村であるが、無神論的な部分はそのまま反権威・反権力へと向かっていることも忘れてはいけない。
 「童貞」というモチーフで有名なのはこの歌である。

  童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり  春日井建
 しかし穂村の歌う「童貞」は春日井の耽美的世界とはまったく趣を異にしている。春日井が持っているような「童貞」に対する美的なこだわりは一切ない。
 なぜ童貞がシャンパンの栓を抜くとシャンデリアを撃ち落とすのか。まず、「抜く」という言葉が露骨に射精を寓意しているということがある。シャンデリアは華やかな照明の象徴であり、それが射精によって撃ち抜かれる。濃厚に性のメタファーがなされているわけである。
 そしてこの歌はそういった性のメタファーとの二重写しとして、反権力闘争という側面がある。キリストの権威を貶め、サンタクロースの橇を奪おうとする「聖夜」という連作には、「革命」の寓意もまた込められているのだ。「童貞」とは性的な童貞ばかりではなく、政治的な童貞という意味合いもある。革命を知らず、既存の権威を疑うこともなく聖夜を過ごす人々に盛大なアカンベーをくらわせるために、二人は走り出すのだ。政治的童貞が食らわせる一撃はシャンデリアのような表面的な装飾を撃墜するだけに留まってしまうのだろう。本当の革命は、そんなものじゃない。それを女性の口を通して言わせてみるところがなんとも憎いやり口である。