トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその31・干場しおり

 干場しおりは1964年生まれ。白百合女子大学文学部国文学科卒業。1984年に「未来」に入会し、河野愛子に師事。1989年に第一歌集「そんなかんじ」を、1993年に第二歌集「天使がきらり」を出している。バブル期の空気を残すキラキラ感覚が散りばめられた、ポップな歌風である。

  らりるれろっ いきなり空へ叫んだわそれも一つの詩への展開

  とけてから教えてあげるその髪に雪があったことずっとあったこと

  帰ろうとしている我を君よりもウェイトレスが先にみつける

  ストローでスライスレモンを沈ませて切なくもある待つということ

  サンダルはぜったいに白 君のあと追いつつ夏の光になれり

  えにっきに何もなかったと書くようなきらめきのみの一日を過ぐ
 第一歌集「そんなかんじ」からであるが、タイトルにも象徴されている曖昧で感覚的な世界観が広がっている。髪に雪がついていたことをとけてから教えてあげると考えながら恋人を見つめてみたり、自分よりも先にウェイトレスに「君」の動きを気付かれて残念がったりするというところには、甘さ、幼さともとれる素朴な独占欲がある。このような無邪気な独占欲というのがおそらくは時代を反映する空気感であったのだと思う。「サンダルはぜったいに白」というようなあまり深い意味のない感覚的なこだわりもそうであろう。ささやかなことであっても、誰かを自分のものにしたい、自分だけのスタイルを持ちたいという欲求を、時代が許してくれていたのである。きらめくようなモラトリアムの時間が、個人にとどまらず社会全体を覆っていたのかもしれない。

  果てしなくわたしが続く多面鏡ひとりくらいはしあわせになれ

  〈わたししかできないこと〉がないことの解放感に近い屈辱

  さからえぬ流れの中で輪郭のあざやかなくちをすこしとがらせ

  今日もまた辞められぬまま終点の二つ手前の駅で降りたり

  いつまでもショウウィンドウに飾られて嫌われだしたきれいな思想

  おたがいの今日を知り得ず過ごしゆく日常という四角い時間

  これもまた初夏の風景まっすぐに昇ることしか知らない雲雀
 第二歌集「天使がきらり」の時代には、素朴な明るさはもうかなり色褪せている。見えてくるのは、自分をしっかり保つことに必死なひとりの働く女性の姿である。「嫌われだしたきれいな思想」というのはかつては持っていた夢や理想のことであろう。そういったものがきれいごととして否定されていく世界に突入したのは、干場が年齢を重ねて成長したからではない。時代が移ろい、社会そのものが変質したからだ。「天使がきらり」には敬愛していた師・河野愛子の死を描いた一連もある。精神的支柱ともいえる人物を喪ったこともまた、歌の中に陰を落としている。
 もちろん、現代となってはこの「天使がきらり」ですらかつてあった輝きを再び追い求めるという程度の希望にはあふれたものになっている。希望そのものが取り払われた時代ではこのような歌ですらも空々しさを覚える向きもあるのではないかと思う。「今日もまた辞められぬまま」という苦悩そのものが甘いものと思えるかもしれない。

  坂道をやや早足に登りゆくさっきからみな笑ってばかり

  午後六時ビル冷えびえと青白く今日という過去を抱いて眠る

  課長には消えてもらうと仮定してなおも走れぬ原因はなに

  海風をつれて歩いた午後にならきっときれいに言えるさよなら

  終点をはみだす線路その先の広野にいつか集う約束

  満ちていく海はわたしに強すぎていまは触れずに去ってゆくのみ

 しかしこういったどこかに希望をはらんだ痛みという感覚が、現代においてもっとも懐かしがられているものなのではないかと思う。単純に喪失感などというけれど、「痛み」という感覚からひたすらに意味が失われていったのが90年代以降の「喪失」なのだ。耐えることによる成長神話の崩壊と言い換えてもいい。干場の歌は、そういった「喪失」の感覚を少し先取りしていたのかもしれない。今はまだ自分の感じる痛みには未来へとつなげることができる何かが隠れている。しかしそれはそのうち失われていき、痛みはひたすらに意味のないただの痛みとなっていく。その予感が「さっきからみな笑ってばかり」という異人感覚であり、「今日という過去」という時間感覚であろう。「いつか集う約束」は、今過ごしている時間すらもいつかノスタルジーとなるであろうことの予感である。そして現代、痛みが完全に希望から引きはがされた時代に育った私などは、干場の歌からバブル期の高揚した空気感以上のものを感じてしまうのである。