トナカイ語研究日誌

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穂村弘百首鑑賞・49

  一気筒死んでV7 「海に着くまではなんとかもつ」に10$

 第1歌集「シンジケート」から。「シンジケート」には自動車の歌が多い。そして年を経るに連れて穂村が自動車を詠むことは少なくなっていっている。自動車というアイテムは、高度経済成長期からバブル期のもとでは都会的なイメージをまとっていたのだろうが、現代ではむしろ逆である。都心部の住民はほとんど乗らず、郊外や地方の住民の必須アイテムである。掲出歌は、おそらく恋人同士があてもなくなかば逃避のような形で海を目指していて、あまりに無茶な走りっぷりで一気筒壊れてしまったということだろう。なんだかロードムービーの一シーンのようである。「シンジケート」に登場する自動車の使われ方はどこかアメリカ映画のような匂いがあり、日本よりも先を行っていた郊外社会の描かれ方をいちはやく受容していたのだろう。
 この二人は特に何の意味もなく海を目指している。よくわからないけれど、海に行ったら何かが変わるような気がする、そんな淡い期待だけを抱いて。石川啄木にもわけもなく海に行きたくてたまらなくなるという歌があるので、それを意識していたのかもしれない。「10$」というのはもちろん賭け金の額だろう。賭けるにはあまり高くない額のようにも思えるが、本気で賭けをしたいわけではなく軽口で言っているのだろう。「海に着くまではなんとかもつ」というのは、車の寿命であるとともに自分たち自身の人生のリミットでもある。とにかく車で海に着かなかったら、自分たちの人生は終わってしまう気がする。そんな全く根拠のない不安は、誰もが若いころに抱えていたものなのかもしれない。

  査定0の車に乗って海へゆく誘拐犯と少女のように

  ガソリンを撒いて眠ろう夏の朝かおだけ黒い犬抱きしめて

 同じ一連にあるこれらの歌も同様の空気感を宿している。掲出歌が含まれている一連「スイマー」には前段として車荒しについてのショートストーリーが付いているのだが、穂村は短歌のみならず散文のセンスもこの時点ですでに完成されていたことがわかる。現在出されているエッセイとほぼ変わらない文体である。