嵯峨直樹(さが・なおき)は1971年生まれ。法政大学社会学部中退。「未来」にて岡井隆に師事し、2004年に「ペイルグレーの海と空」で第47回短歌研究新人賞を受賞。2008年に第1歌集「神の翼」を出している。
まず作風の大きな柱のひとつとなっているのが、性愛の歌である。
霧雨は世界にやさしい膜をはる 君のすがたは僕と似ている
熱心に君は何かを話してる幼女のように髪しめらせて
こんなにもいたでを受けて君はいるストッキングを伝線させて
駄目だよ、ここで痙攣していては。準急列車がごうごうと往く
月光が照らしはじめる駅前の放置自転車 もう来てもいい
ぬるい水下腹にきざす 髪の毛がさかなのように匂いはじめる
粘膜は小さく開きやわらかな月のあかりに照らされている
雰囲気としては師である岡井隆の性愛に歌の影響下にあるようだ。性にかかわる直接的なタームは出さず(そのため性愛の歌として読まないこともできる)、作中の登場人物たちのあいだにある社会的な距離感が異常に近いことをほのめかしながら表現していく。また、「髪」や「膜」、「水」のイメージが頻出し、淫靡なイメージを補強している。決して透明感のある清潔な性愛というムードはない。むしろ常にミルク色の膜がはっていて、少し濁ったままはっきりと見えない世界である。
万札を吸い込むだけの機械だろアホなサインをちかちかさせて
働くとカネが貰えるなどという〈甘(うま)い話〉に注意しましょう
春風の維持を担当する部署が無意味に俺を終わらせてゆく
世界消灯、世界消灯、アナウンス聞こえくる朝制服を着る
雨降ってみろ終わってもいい今日のタブロイド紙を信じてもいい
賽銭の交尾する夢 木の箱を叩いて銀の玉あふれだす
運ばれてオフィスへ向かう人々が駅に着くたび配列変える
これらの歌は都市労働者としての生活を詠んだものだろう。一種の労働詠であるが、具体的な仕事内容は描かない。むしろ都市に暮らすことの不条理、システム社会に組み込まれることへの反抗がテーマになっているように思う。顔の見えない「世界」の中枢そのものに直接管理されているような不気味さが、歌のなかにあふれている。
街じゅうの監視カメラに注視され撰ばれてある恍惚とする
爪を咬み童貞はいう訥々と産経抄のごとき〈美学〉を
コンビニに正しく配置されているあかりの下の俺は正しい
赤んぼの頃から俺のおしっこはおむつを宣伝するために青い
〈炎上〉のブログに蟻は群を成す 甘い正義にありつきたくて
加工した針金製のハンガーを俺の隙間につっこんでいる
僕たちは過剰包装されながら受け入れられておとなしくなる
おむつのCMに使われる青いおしっこはもちろん実際に人体が出すものではない。社会全体に届けられるための情報は、いつもあらかじめ漂白された〈正しさ〉をまとって大衆に供給される。その〈正しさ〉に居心地の悪さを覚え続け、漂白しようとする世界に抵抗を図る。「コンビニのあかり」や「青いおしっこ」「過剰包装」などにはそういった不機嫌さと、強い意志が込められている。
それは都市社会の管理システムへの悪意ともつながっているし、そして薄ぼけた性愛の世界ともつながっているのである。社会の最大公約数的な倫理や感性といったものを否定し、ときに排泄物や「粘膜」などの身体のどぎつい最前線を持ちだしてくる。社会から押し付けられない、目の前のたった二つの生身の身体。社会システムの不条理さを暴き立てることで本当に描き出そうとしているのは、確かにいま持っているはずの、身体感覚のリアリティなのではないかと思う。
- 作者: 嵯峨直樹
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