トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその140・小林久美子

 小林久美子(こばやし・くみこ)は1962年生まれ。女子美術大学卒業。1994年「未来」に入会し、岡井隆に師事。1996年に未来賞を受賞。歌集に「ピラルク」「恋愛譜」がある。なお、東直子の実姉である。
 透明感のある口語短歌を特徴とするが、ただ淡くて実体感がないばかりではない。妹の東直子に通じる童話的世界観があるが、小林は土着的な民話性も兼ね備えている。

  発熱のあなたをつれだし今世紀最後の皆既日食みせる


  のんのさまがふっくらてっておいでです内気な椰子をはげましながら


  とてもいいできごとのあとかけだしてなきむしジャネッチ行ってしまった


  地下鉄の小窓を軍靴またとおる ほんとうはかれ絵描きだそうだ


  胸のうち告げてきた こい紫のぶどうのしずく眼におちてくる


  いつもこたえをほしがってといかけることばかりするほほあつくして


  白色の発光ペンで しんみつ とあなたの胸のくぼみに書いて


  突風におどろいただけふたりともつないでた手をぽいとはなして


  こいびととふたごになっていくような不安といっていいかもしれない

 言葉の欠落によってポエジーを生み出す手法を得意とするが、世界観の輪郭はくっきりさせる傾向にある。それは、これらの歌の背景に南米の風景があるからだろう。小林はブラジル・サンパウロにて邦字紙の記者として働いていた経験があり、特に第1歌集の「ピラルク」には南米を描いた歌が非常に多いのである。

  この街と話をしたいこの街と寝てこの街に溶けていきたい


  つなぐ手をちょっとはずしてはめてみるさそり・がいこつ・こぶらのゆびわ


  大聖堂は午(ひる)をアルトでつげおえて乾季の雨(シユーバ)になめられていく


  背のたかい夏の木蔭はだんだらと人々すすぐぷらさだあるぼれ


  おやすみとパラシュートとじひとりずつさってさいごにさよなら(アテロゴ)つげる


  暴動がおこりそうなの革ぐつをぬがずにねむる 村の色彩


  あかるくてあそぶ時間がいっぱいだビーグル水道すーすー眠る


  泣きやんで西洋梨をかじる子のほほに夕陽が照る ゆれながら


  たいようにちかいくらしはおわろうとしていることがとてもわかるよ

 ブラジルを中心に、ボリビアウルグアイなどを訪れた歌もある。ポルトガル語をひらがな表記してみたり、遊びの面白さが印象的である。「たいようにちかいくらし」を素直に享受し、ラテン系の人々の明るさや優しさに触れながら、それでも小林の問題意識は基本的に日系移民という歴史感覚の中にある。岡井隆の解説にもあるように、河野裕子米川千嘉子らのアメリカ在住経験の歌とは決定的に異なる部分である。日本とブラジルの文化を比較しぶつけ合うことをひたすらに拒否し続け、両者を自らの身の内に混ぜ合わせて消化しようとしているのだろう。

  水鳥とピラルクしずかに惹かれあい満月のよる結婚をする


  あねのように夫をしかってあげました東洋市のきんぎょのまえで


  もう雨は少なくなっていくでしょう冬の夢にはピラルク眠る


  失踪した草魚とひとがたわむれるあついゆうひのトケトケ海に


  ボサノーバがながれる店にひとりきり魚の化石を神妙にみる


  つつましいゆうべ魚は流木の根につつまれてひかりをはなつ


  アロワナはげんきにおよぐあたらしい住家でおよぐ別れをしらず

 「ピラルク」という歌集のタイトルにも表れているように、小林の歌には「魚」が重要なモチーフとして頻出する。夢と現実、過去と未来の隙間を自在に泳ぎ抜ける魚というイメージが、自身の姿と重ねられているのだろう。ピラルクアマゾン川に生息し、1億年の間ほぼ姿が変わらない「生きた化石」と称される魚だ。雄大な時間を超えていく南米の地を端的に表現した存在といえる。日本とブラジル、過去の自分と未来の自分の間をすいすいと泳いでいきながら、ピラルクのような悠久に憧れ続ける。その世界観がやわらかな口語の歌に明確な輪郭をもたせているのだろう。

恋愛譜

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