トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその114・狩野聡子

 狩野聡子は2009年に第1歌集「若草色の便箋」を青磁社より出版した。著者のプロフィールについてはよくわからず、青磁社と関係の深い「塔」の会員なのかどうかもわからない。歌集には「二十代の終わり」が幾度も描かれているので、年齢は30代だろうか。

  偶然か我の向かいに君がいる顔あげられず腕を見ている
  記憶したあなたの言葉を再生ししずかな声につつまれ眠る
  むきあってあなたの前に座るときわたしは小さな竪琴になる
  君という一冊の本をめくりゆく君もわたしの頁をめくる
  やさしさは人それぞれに違うからひまわりのように水仙のように
  あたたかきフエルト帽を脱ぎすてて白もくれんはもうすぐひらく
 相聞の歌が多い。やや幼い雰囲気があり、少しばかり言葉に無防備な印象を受ける。デッサンの描きこみが足りないような感じだ。しかしこの歌集には、実はそんな未完成さを補って余りあるものすごい個性があるのだ。

  ようやくに返信なきこと受け入れて失恋する日今日と決めたり
  約束を破られしことまたありてさびしさ積もるしずかに積もる
  「また」という言葉を信じいしわれは夕日の中に残されており
  人づてに君の気持ちを聞きしときわれは一瞬石になりたり
  「いやだ」という吾に向けられしその言葉わが全身を打ちのめしたり
  本筋に関係のない脇役の破談の場面に思考停止す
  想像の中では君とよく話す異国の話、星座の話
 その個性とは、振られる歌が頻出することである。それも美しい失恋ではない。無視されたり拒否されたりというかなりみじめな失恋だ。ある意味男子中学生のような振られ方である。誰もが恋愛体質で当たり前に恋愛をしているかのように相聞歌がたくさん詠まれているが、実際はみじめに振られる人だってたくさんいるわけで、そっちのほうがむしろリアルだろう。そして狩野は自虐や笑いに転化するのでもなく、かなり真摯に「失恋」に真向かい、またおそらくは「もてない」自分に向かい合っている。こういうスタンスを、女性の側から表現したことが実は意外に珍しいのである。

  われおんな子を産むその日はいつならんおとめのままに過ぐる二十代
  二十代に出産なしとわが気づく高校入試に落ちしごとしも
  歴代の朝のドラマのヒロイン等次々帰り来(く)母役となり
  勤めつつわれを育てし母なれば再放送「おしん」初めて見るらし
  少しずつできるようにとなってゆくできない自分失われゆく
  君と行く未来が育ちますように若草色の便箋選ぶ
  弟が「家(うち)」と言うときその家は我が家ではない妻と住む家
 出産をせずに終わる自らの二十代と、「母」に対する意識。それもまた主要なテーマになっている。また、家庭を持って家を出た弟という登場人物も現れる。女性として「家」に縛り付けられる姿に心の何処かで反発しながらも、「もてない」がゆえに宙ぶらりんな状態にいる不安にもまた慣れない。いつまでも大人になりきれないように思っているのに、着実に色々なものを喪失していっている。狩野の特徴は、もてないことをテーマにしながらも捨鉢にならず上品さを失わなかったこと。そのために、現代の家族問題への鋭い示唆のひとつとして機能しえたのだと思う。