トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその75・松崎英司

 松崎英司は1960年生まれ。2002年「星座」入会。2006年に「青の食單」で第52回角川短歌賞次席。本職は料理人であり、ホテルの料理長も務めている。「青の食單」はすべての歌に食材が詠み込まれているというユニークさから、小池光に高く評価された。この食材を詠むという姿勢は松崎にとっては日常を詠むことであり、日常は食材別に切り分けられる。2009年発行の第一歌集「青の食單」には巻末に食材や調理器具別の索引が付いていてユニークである。

  堅き殻よりかき落とす岩牡蠣は殻のかたちのままにかがやく

  鍋に入るすなはち開く海老の尾の油の音に響くくれなゐ

  早春の抹茶ムースのメレンゲに過去も未来も閉ぢ込めてをり
  火を消して夜の厨房に一人をり大豆の水吸ふ音の聞こゆる

  あたたかき春の陽受けしさみどりのセロリの筋を長く剥きたり

  染め分けの織部の皿に盛りつけしミモザサラダの黄身のためらひ

  九つの穴それぞれに立つ泡の小さくなりて蓮(はちす)が揚がる

  栗の実の灰汁と旨味の重なりにわが指染めて煮上がりを待つ

  計量のスプーンを保つ料理家はいつも変はらぬ塩量るらし

  くちなしの白きはなびら珈琲に浮かべて微笑のわれを宥しつ
 料理人としての生活の周辺を飾るものを見事に活写した歌である。特に食材の緻密なスケッチが光る。特徴的なのは、モチーフを静物画として描くのではなく短い時間のなかに込められたさかんな動きやうつろいを描写しているところだ。松崎の所属している「星座」は佐藤佐太郎の流れを汲んだ歌誌だが、佐太郎同様に「意識の流れ」とともにモチーフを写し取ろうとするのが基本的なスタンスといえる。

  亦た海へ帰らむごとく鰭揺らす鯛を抑へて出刃を突くわれ

  太りたる肝を抜かれしするめ烏賊威嚇の色の弱くなりゆく

  殻むきていまなほ動く伊勢海老の淡きあぢさゐ色の悲しみ
  水槽に背を曲げ威嚇する海老のうしろの硝子いきごもるらし

  活鯛(いけだひ)の鰓(えら)に出刃押すわが顔は魚眼レンズに写されていん

  吸盤をわが手に絡ませ踠(もが)きたる頭なき蛸が煉瓦色増す

  あらがへる蛸切り分けて炊くときに吸盤の跡腕に残れり

  銃弾を持つ鹿の肉さばく夜淡き雪野の香り利きたり

 料理をするうえでは当然生きた食材も多く使う。これらの歌は料理人として生物を殺すという歌である。これは仕事なのだとためらいもなく生物の急所を刺すとき、他者の生命を奪わねば生きていけないという生物としての業を強く意識する。料理人はつらい仕事であろうが、松崎はプロフェッショナルとしての意識を常に保っており、ある種の芸術家としての料理人像を描いている。労働者として、職場や仕事に不満を漏らしたり、あるいは同僚などとの人間関係を描いたりはほとんどしない(部下を詠んだ歌が数首ある程度である)。純粋に職業に対する誇りを強く感じさせるのである。

  春あらし臨海街区を過ぎしかば根岸の丘に副虹の立つ

  窓越しに臨海都市を見おろせば光る昇降機がガラスを流る

  散る花の限りは知らず花の浮く海に群れつつやすらふかもめ

  灯りなき街区の狭間春雪と履歴降り来る螺旋階段

  夕づきて集まりし者ら息ほどく微雨の運河に灯り揺れゐて

  対岸のクレーン四基は作業前の角度保ちて朝光のなか

  夕闇に浚渫船の曳かれゆく春の運河に花びら流る

  真夜中の誘導灯に人影の左右に走るホテルバックヤード

 もう一つ、料理や食材の歌以外で特徴的なのが港湾都市を描いた都市詠である。これは松崎の故郷であり現在も住んでいる横浜の歌である。抑制の効いた写生表現で、カモメの声と暗い色の海面がイメージされる優れた歌たちである。「街区」というフレーズは実はこの歌集のキーワードかもしれない。あらかじめ区割りされたゾーンの中を生まれ、区切られたまま生きていく。そうした世界認識を持つ目から見る厨房という場所は、社会から切り離され、その中でさらにあらゆる食材が切り刻まれるような「街区」なのだろう。そして料理人としての生き方、歌人としての行き方もそれぞれがゾーニングされている。そのクールな分析的視点が港町横浜の雰囲気と混じり合い、都会的なのだけどどこか沈鬱な面持ちを添えている。松崎の本質は「料理人歌人」というよりもむしろ「港の歌人」「街区の歌人」なのだろうと思えるのである。