トナカイ語研究日誌

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穂村弘百首鑑賞・74

  手紙かいてすごくよかったね。ほむがいない世界でなくて。まみよかったですね。

 第3歌集「手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)」から。歌集のハイライトともいえるシーンであらわれる歌である。「ほむ」とは手紙の相手、穂村弘自身のこと。ここで綴られているのは「まみ」にとってはじめての自分自身の全肯定である。「ほむがいない世界でなくてよかった」というのは「自分自身がこの世界に存在することを許された」と感じたのとほぼ等しい。自身の存在意義の確認が「ほむ」に依存しているわけであるが、それまで「まみ」は自分を許せないという感覚にずっと浸っていたので(少女的口調は自身への攻撃を隠すような意味合いがあったのかもしれない)、ここまでの肯定に至れるのは内面の大きな変化といっていい。
 「手紙魔まみ」という歌集は「まみ」の一人称で語られ作者の穂村自身は二人称で登場するが、「まみ」は事実上穂村弘の〈私〉の延長線上である。「まみ」の全肯定は、穂村自身の自らの全肯定でもある。この裏側には、穂村自身がずっと自らを許すことができなかった、強烈な自意識ゆえにありのままの自分を認めることができなかったという部分があるように思う。

  おやすみ、ほむほむ。LOVE(いままみの中にあるそういう優しいちからの全て)。

 「優しいちから」とは自分自身を許し、解放する力のことであると思う。「まみ」にとって「ほむ」に手紙を書くことが救いであったわけだが、「ほむ」からの返事を受け取ることではなく往信のみに救いがあったという筋書きは、穂村自身が考えているコミュニケーションのあり方を如実に表しているのだと思う。受け取ることではなく、送ることだけが人の気持ちを救いうるのである。逆に言えば、この歌は穂村が相互コミュニケーションの存在を信じていないことの証左にもなってしまっている。相手の気持ちを考えない自己完結のみでしか人は救われない。きらきらした全肯定の歌に見えて、実はとても孤独な思想が表明されているようにすら思えるのである。