トナカイ語研究日誌

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穂村弘百首鑑賞・40

  ウエディングヴェール剥ぐ朝静電気よ一円硬貨色の空に散れ

 第1歌集「シンジケート」から。掲出歌のうまいところはなんといっても「一円硬貨色」という表現であろう。曇り空の鈍色を一円硬貨のアルミニウムの色にたとえる視点は非常にシャープである。そして単なる色彩の類似ばかりではなく、のっぺりとした人工的な都会の雨雲を適切にあらわしている。そしてそんな色の空に散るものは静電気である。これもまたいかにも都会的なモチーフだ。静電気という微弱な刺激が、金属のような色の空に散っていく。これは、人工的なものに囲まれて育ってきた作者自身の自己相対化が生み出した心象風景であろう。
 「ウエディングヴェール剥ぐ朝」というのは結婚式の朝であろう。普通だったら幸福の絶頂の朝かもしれない。しかし「シンジケート」における穂村弘のテーマは、「恋愛が社会性を帯びることへの恐怖」である。それはすなわち結婚して家庭を持つことへの恐怖とほぼ同一である。「ウエディングヴェール剥ぐ朝」は他の誰にも祝福され幸福とみなされているにもかかわらず、自分自身は悪夢のような日々のはじまりに怯えているのである。その不安が「静電気」という微弱な刺激となって身体化し、自らの身にショックを与えている。その恐怖から解放されるために「一円硬貨色の空に散れ」とい強く願うのである。心の恐怖が、人工的な平穏へと帰っていく。それが若き穂村の願いだったのだ。

  モーニングコールの中に臆病のひとことありき洗礼の朝

  パイプオルガンのキイに身を伏せる朝 空うめる鳩われて曇天

 掲出歌のあとに並んでいる二首であるが、朝の歌が連続して並んでいるわけである。これはもちろんちゃんとした理由がある。「臆病」と「曇天」がかなり近い言葉として用いられているのである。二人だけの恋の王国に閉じこもることができなくなることへの恐怖が、世界を曇天に見せている。「朝」とは新しい日々のはじまりの暗喩である。それまでの日々があっけなく崩壊して新しい日々がはじまることに、青年はつねに怯え続けていたのである。