伯父が俳人なので、短詩形そのものに触れた機会としては短歌よりも俳句の方が先だった。今でも俳句を読むのは好きだが、句集の妙な字間の広さにはなかなか慣れない。
「海藻標本」は1985年生まれの若い俳人の第一句集である。タイトルの「海藻標本」とはすなわち、濡れていなくてはならないものが乾いている状態である。このタイトルが示すとおり、抒情の質にどこか乾きがある。本人のブログhttp://819blog.blog92.fc2.com/もシニカルでクールでたまに自虐的な文体がとても笑える。俳句時評も面白い。エッセイを書いても成功しそうだ。
少女みな紺の水着を絞りけり
巻頭の一句である。おそらくはプール授業の後にスクール水着を絞っているのであろう。ということはこの少女たちみんな裸ということになるのだが、からっとした明るさがありエロティックな香りは薄い。水着を絞るというのは完全に「水」のイメージを喚起する行為なのだが、それにも関らずどこか文体の向うに「乾き」が見えるのは本人の資質ゆえかもしれない。
海に着くまで西瓜の中の音聴きぬ
停留所まで豆腐屋の打水は
かの朝のくれなゐの海苔父が炙る
これらも同様で、「水」のイメージをもつモチーフが登場しながらも句全体の水分は少ない。「海苔」なんかは海藻なのに炙られてしまっているのである。こういった倒錯が作者の愛するものであり、また父への複雑な感情が見え隠れしているのではないかと思うのである。
足長蜂足曲げて飛ぶ宝石屋
夏の蝶自画像の目はひらいてゐる
人を離れて手花火を闇に消す
「自画像」の句はなんとなく花山周子を思い出す。感性に近いものがあるかもしれない。