しおみまきは1973年生まれ。「未来」に所属し、加藤治郎に師事。2008年に「ムリムラさん」で第51回短歌研究新人賞の最終選考を通過した。歌集は未刊行。
初めてしおみを知ったのは毎日新聞の歌壇である。ひらがなを多用したやわらかな字面と、呪文のような韻律感覚が非常に印象的であり、新聞歌壇に注目をし始めたときに真っ先に目についた投稿者であった。
きみどりのごむてぶくろでせえたあのしゃぼんをそっとつみとるかんじ
ひんやりとゆびにとまれり七月のかえるかしこくまなこをとじる
こうながれそゐねそゐねと香ながれそぼのいえいとわたしはにてる
うすもものガアゼのさなぎにうにうとゆびすいながらとわのゆうぐれ
はしりがきの住所にてがみだしました。鳩ぷおぷおと喉膨らます
わたくしはきままれーどなひのひかりからめてねむるバナナデニッシュ
さようなら。ひとえまぶたのかこちゃんが黒鍵だけで弾くチューリップ
それから。と注ぐことばのくちもとに名残のようなうぶ毛濃くして
あけがたのうすももいろよ うっすらと刷毛でのばしたしょうゆのにおい
独特のオノマトペが特徴であり、理屈のない本能的な言語感覚をそのまま打ち出しているように思える部分がある。このひらがなの多用には意味の解体を狙っているところがあるように思う。しおみのひらがなへのこだわりはグラフティカルなものなのだろう。丸っこい字を使って描く一行の絵。東直子のような童話的世界とも、今橋愛のような現代詩的アプローチともまた違う、文字への愛着が強いひらがな歌である。
ここそこにひとえまぶたのともがいてあおきはな緒のいちばのように
ここそこにひとえまぶたのともがいてちゃちゃつぼちゃつぼうつぼのかづら
ここそこにひとえまぶたのともがいていのるきもちでさがしたいのり
ぬけがらのころんころんとセミコロンしゃあしゃあしゃあと木々も老けゆく
ぬけがらのころんころんとセミコロン自意識だけの残り香である
ぬれたままぐるぐる巻いてしまいこむ首すぢだけが熟れてゆくなつ
まちうけのみみをはさんで西がはのくびすぢだけが熟れてゆくなつ
叱られてペディキュアをぬる西がはのくびすぢだけが熟れてゆくなつ
なつ果実えらびてたてるこゆびかな小指ふるえてこよりのはなび
なつ果実えらびてたてるこゆびかなかなしきこともわすれたように
またもう一つの特徴として、同じフレーズを部分的に変えて何首も繰り返す連作がみられる。これはパターンの違う付け句を延々と続けているというわけではない。共有部分を少しずつ移動させながら変奏していっているのである。ビジュアル的な特徴ばかりではなく、音楽性への強いこだわりも伝わってくる。言葉遊びのような韻の踏み方は、朗読に向いていそうだ。
ふるいどにぽたりぽったり藍色のしたたりおちる淡きにくよく
亜熱帯のおとこときどきマレーぐま雨ふる森で戯れあうように
あきらめは吊されたまましつようにニスをぬられてあめいろとなる
きみのこえ。スープの膜をふるわせてちいさな匙で掬う晩秋
こいびとの水琴窟をききましょう。うすむらさきのあめのゆうべに
はるきゃべつほぐすおやゆびみてたのよMUJIぶらんどのそふぁのうえで
ふりそそぐあさのひかりはかぎりなくりっぽうたいのアロエのエロス
ねえぎゅっとしぼってれもん。いつかみたエゴン・シーレの痛みのように
赤ちゃん。はすきかきらいかぴちゃぴちゃとおだてるように啜るポタージュ
蛇口から水のにおいがするまではうまれてたことわすれてました。
しかしこの丸くファンシーな世界観のなかに、セクシャルな表現も多数取り込まれている。「にくよく」「しつよう」「りっぽうたい」などのような硬めの漢語のひらがな表記が、夢と現実の境が曖昧になるようなドリーミーさを醸し出している。ベッドの中から見るような世界。濃厚な身体感覚と、夢見心地のふわふわなイメージが直接にドッキングしているような強烈なインパクトが、この文体にはある。「赤ちゃん」のように時折どきっとするような冷酷な感覚を見せるのも忘れない。意味性から軽く解き放たれて、ビジュアルと音とイメージの世界にひたすらたゆたう。この独特の世界観はなかなか癖になるものがあり、かなり以前から注目している歌人である。
しおみまきホームページ「しおりぼん」
http://sioribbon.mumpk.com/