トナカイ語研究日誌

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池井昌樹詩集

 現代詩文庫(思潮社)の「池井昌樹詩集」を読む。池井昌樹は1953年生まれの詩人で、抒情詩の名手である。この人の詩はひらがなを多用した七五調のものが多い。韻律感覚がかなり短歌に近いかもしれない。

 ふしぎなかぜが


 やがてついえるにくたいと
 やがてついえるにくたいが
 なかよくならんであおむいて
 いつまでたってもねつかれない
 やがてついえるこのちちと
 やがてついえるこのははは
 かわいいねいきをもうたてている
 おまえたちだけかんがえながら
 なかよくならんであおむいて
 やぶれうちわをつかっている
 やぶれうちわをつかっていると
 くらやみのそのどこいらからか
 ふしぎなふしぎなかぜがくる
 だれがはくいきなんだろう
 いつかついえたにくたいと
 いつかついえたにくたいの
 るいるいとかさなりつらなるかなたから
 なにごとか
 ささやくようにかぜがくるのだ

 1997年発行の詩集「晴夜」から。家族への愛というのが大きなテーマとなっている。そして家族への惜しみない愛とひきかえに自分自身の実存への疑問と孤独が容赦なしに問いかけられる。この詩における「ふしぎなかぜ」とは連綿とつながる血族のメタファーだと思われるが、自分がその中に埋め込まれた1ピースでしかないという思いが胸を打ってくる。

ふとん


 新婚当初
 妻が寝入ると
 つないでいた手をこっそりほどき
 ぼくはじぶんのふとんでねむった
 じぶんのふとんを抱いてねむった
 妻の手よりもその胸よりも
 ふとんはとおいだれかににていた
 だれかに抱かれてねむっていると
 くらいほしや
 くらいつきや
 くらいよるのうみがみえた
 くらいいのりのうたがきこえた
 いまでは妻の手をにぎり
 いまではつなぎあった手を
 ほどくことなくねむってしまうと
 くらいほしも
 くらいつきも
 くらいよるのうみもみえない
 やさしいくらいいのりのうたを
 うたってくれたあのひとが
 だれだったのか
 どこへ失せたか
 抜け殻かまたなきがらめいた
 ふとんはかたえにおしやられ
 あれから十年
 腕のなかから
 かすかに寝息のつたわってくる
 おまえを抱いてねむっていると
 雨後ののはらへでてきたような
 しらない匂いでいっぱいなのだ
 いまみひらかれためのような
 しらない虹の匂いがするのだ
 (やっとおまえに)
 (であえたんだな)
 ひとりぼっちの
 ふたりっきりよ

 家族を持つことって孤独なんだなあと思わせてくれる詩だ。幸福なんだろうけれど、間違いなく何かを失ってしまったという欠落感がある。誰かと愛し合い、家族をつくり、子孫をつなげる。人間が生物として繰り返してきたサイクルは、実はものすごくいびつなものなのかもしれない。