終バスにふたりは眠る紫の<降りますランプ>に取り囲まれて
少なくとも僕は平成最大の歌人だと思っている穂村弘。第一歌集「シンジケート」はもはや古典となった感すらあります。しかし評論で扱われるときはもっぱら「ニューウェーブの旗手」としての側面ばかりが強調され、単独で精緻に読まれる機会は少ないように感じます。そんなわけで、とりあえず百首くらい精読してみようかと思い立った次第です。
掲出歌は「シンジケート」(1990)所収の、人口に膾炙した代表的な一首。甘やかな相聞歌です。「冬の歌」と題された一連に含まれており、歌の舞台は冬です。同じ一連の中には性愛の歌が多く含まれており、まさに幸せの絶頂な歌です。
この歌の妙味はバスの降車ボタンに<降りますランプ>という名称をつけたところ。実際の降車ボタンは「止まります」と書かれています。<降りますランプ>としたのは単に字数を合わせるためではなく、「降ります」と優しく語り掛けるような暖かさが欲しかったのでしょう。「ボタン」ではなく「ランプ」なのもそういう配慮でしょう。誰もが日常的に目にしていながら名前を呼んでいないものに<降りますランプ>という名称をつけたことで、鮮やかな映像として歌世界のイメージが広がるのです。また、「紫の」には「紫野」がかかっているともみることができます。
この<降りますランプ>はふたりの世界を鮮やかに照らす照明です。かけがえのない一瞬の愛の輝き。それがさんさんと降り注ぐ陽光などではなく、冬の真夜中、終バスの中の降車ボタンによってのみ照らされる。甘く美しいけれど、寂しい風景です。終バスは、この先どこに行くのかわからないふたりの未来を暗示しているのです。都市の中に一瞬生まれた幻想空間のなかで、ふたりは逃避するように眠るのです。