トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその135・我妻俊樹

 我妻俊樹(あがつま・としき)は1968年生まれ。2002年頃から作歌を始め、歌葉新人賞には2003年の第2回から2006年の最終回まで最終候補に残り続けた。結社所属は無い。
 我妻は2005年にビーケーワン怪談大賞を受賞するなど怪談作家としても活動しており、短歌の作風もその延長線上にある。美しさよりも奇妙さや怪奇性、詩よりも怪談を重視する。シュールで不思議な三十一文字の怪談。それが我妻の特徴と言える。

  ぼくたちは陽気に眠る かぞえてもかぞえても数があわない集団


  パーマン何号が猿だっけ このゆびは何指だっけ おしえて先輩


  おはようおはよう、さいごのドアをたたくとき 背後のドアは叩かれている

  
  滅んでもいい動物に丸つけて投函すれば地震 今夜も


  指に蛾をとまらせておく気のふれたガール・フレンドに似合う紫


  「先生、吉田君が風船です」椅子の背中にむすばれている


  椅子に置く花束でしたともだちが生まれ変わると向日葵になる


  本当はもう死んでるの 帽子掛 あなたが話しかけているのは

 歪んだ狂気の世界が描かれているが、しかし不思議とぬめぬめした暗さがない。真っ白な壁に囲まれた何もない部屋のように、のっぺりとした明るい不気味さが世界を覆っている。笑いと恐怖が紙一重ということをよく体現している作風である。全体として人間をあえて細かく書き込まず、漫画的な印象を与えるように操作している傾向がある。

  砂糖匙くわえて見てるみずうみを埋め立てるほど大きな墓を


  逃れないあなたになったおめでとう朝までつづく廊下おめでとう


  陽をあびた長い廊下を足音が近づいてくるこれからずっと


  七時から先の夜には何もない シャッターに描き続けるドアを


  歩いてもどこにも出ない道を来たぼくと握手をしてくれるかい

  
  ガムを噛む私にガムの立場からできるのは味が薄れてゆくこと


  あの四角い職業欄にぴったりの雨染みだからこれでいいのだ


  この秩序に賛成だから雨の中を白紙で掲げ歩くプラカード


  「泳げないから慎重にふんだのに横断歩道が氷だったの」

 我妻が究極の恐怖と考えているものは、どうやら「終わらない」ことのようである。終わりなくどこまでも続いていく、終わったと見せかけて繰り返していく。そんな状況に置かれることが最大の恐怖だと思っている。ドアや扉というモチーフが多く詠まれる。異世界へと脱出口のように見えて実はそうではない、終わりなき絶望への入り口としてのドア。きっと我妻は日常のなかにそんな見えないドアをたくさん見続けているのだろう。

  はちみつの濁るところを双眼鏡さかさまに見る震えながら


  窓で目があう人もいるきみはただ手ぶらで海が見たかっただけ


  さようならノートの白い部分きみが覗き込むときあおく翳った


  蛾をつつむ素手で いつもの手紙にはいつも なんだか挿んでいたね


  消えてった輪ゴムのあとを自転車で追うのだ君も女の子なら


  悲しいと思ったことがない犬を友だちにして夏を見送る


  閉じるとき心はチャックに巻き込まれ何か叫んだように朝焼け

 しかし我妻は基本的に抒情詩としての短歌という姿勢を貫いている。やはり奇妙な味わいながらも、相聞歌もある。こうした抒情性の強い歌が生まれてくるようになったのは2005年の歌葉新人賞候補作「水の泡たち」あたりからであり、作風には時間と共に変化が生じているようだ。
 我妻の相聞歌は「シンジケート」の頃の穂村弘の影響を感じさせる。女性描写のコケティッシュさや、感情の屈折を過剰気味に表現する点に共通したところがある。しかしその過剰さの質にはっきりと違いがあるだろう。バブルの崩壊とともに社会に飛び出しただろう我妻に、「終わらない」ことは悲劇でありネガティブなものでしかなかった。歌の中に自らのパーソナリティを表出させることを拒否する作風といえるが、扉へのこだわりや「終わらない」「続く」ことへの絶望に作者自身の横顔が垣間見える気もするのである。怪談も短歌も、きっと絶望からの脱出口なのだ。