トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその16・武井一雄

 武井一雄は1949年生まれ。専修大学文学部国文学科卒業。「未来」所属。本業は地方公務員だという。私は「もっと評価されるべき歌人を一人挙げよ」と言われたら、この武井の名前を出したいところである。「未来」というメジャーな結社に所属し、これまでに3冊の歌集を出しているが、あまりその作品に言及されることはない。しかし1978年に出版された第一歌集「わが裡なる君へ贈る歌」は口語短歌のエポックともいえる歌集であり、その先駆性は歴史的に見ても注視されるべきである。

  この俺の部屋に電車が近づいて轢かれてしまう一日もある

  叫んでも無駄だと俺に言いながらだがしかしとは言わない君だ

  風は野を俺はおまえを駈け巡り過ぎ去った夏 思い返すな

 ハードボイルドと言ってもいいくらいのかっこいい文体である。断言調の語尾は力強い印象を与えるが、しかしその一方でどこか湿った情けなさをも内包している。自分の弱さや過去の思い出にがんじがらめにされながらも無頼に生きていく男の姿が浮かんでくる。

  透きとおることのできないこの俺に君のすべては重すぎるのだ

  コスモスの花窓越しに見ていたがそのやさしさに届かないのだ
  橋上の光に君は影となる影はひとつになりえないのだ

  ひとつ灯をともしていたる幸福に貨車の音さえ響かないのだ

  郷愁にひたる眼をして聞いているその音楽を殺したいのだ

 これらの歌の特徴は一目瞭然である。すべて結句が「のだ」で結ばれていることだ。口語短歌の問題点としてしばしば指摘されるのが語尾のパターンが少なく単調だということなのであるが、武井は「のだ」「である」調の多用によりこれをクリアしている。まだまだ口語短歌黎明期であり、さまざまな歌人が口語を定型に馴染ませるため悪戦苦闘していた時代である。その苦闘の成果のひとつが武井の口語短歌だといえる。このような技法は現代でも奥田亡羊の短歌などにみられる。やはり無頼派の哀愁歌人である。文体のヒントとなったのは尾崎放哉らの自由律俳句かもしれない。
 武井の歌の本領は相聞にあらわれているが、「弱くて汚れた俺」と「純粋で美しい君」との対比が基本軸となっている。思えば思う程に「君」の存在は遠くへと離れてゆき、自らの孤独は逆照射されてゆく。苦みのある敗北の歌である。

 稜線の青い連なりある時は身を挺しても個を守り抜け

 海鳴りのおさまるまでを佇ちつくす抱かんとする前の沈黙

 超えてゆく君の思想をまだ溶けぬ雪の如くに見つめていたよ

 君と僕の視線は闇を見喪い背中合わせにいた至近距離

 道はまたふたつに別れ進みゆくたった一度の悲鳴にも似て

 武井の歌には何らかの強い思想的背景があるように思えるが、それが何なのかは歌からははっきりわからない。ただ、団塊世代だからか何かしらの思想的敗北を経験したような匂いを感じなくもない。時折歌からこぼれ出しているのが、1首目のような徹底した個人主義である。自分は自分、そして君は君であるから、君は君の人生を生きよ。そんなメッセージが歌を通じて伝わってくる。4首目は相聞であるが、「背中合わせの至近距離」にいながら互いに向き合うことができない二人の姿が見えてきて切なくなる。青春歌だが、青春ゆえの絶望の歌である。そしてすべての出会いは「ふたつに別れ」てゆく。つねに別れを予感しながら生きてゆく。そこにしびれるような抒情があるのだ。
 「わが裡なる君へ贈る歌」は最近本阿弥書店の短歌雑誌「歌壇」にて抄録300首が掲載された。その歌は30年を経てもまったく古びていない。口語を巧みに取り入れた哀愁の男歌はやはり佐佐木幸綱が祖であるだろうし、武井にもその影響を与えているだろう。しかし口語短歌の新たなる展開を見せてくれた歌人のひとりとして、武井一雄の名ははっきりと短歌史に刻まれるべきであると思う。