松原未知子(まつばら・みちこ)は1950年生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒業。「未来」短歌会に所属し、岡井隆に師事。歌集に「戀人(ラバー)のあばら」(1997)、「潮だまり」(2004)がある。
「戀人のあばら」というタイトルで感づいた方もおられるだろうが、このタイトルは回文である。そしてその歌集には回文短歌が多数収められている。
はかなさの落葉焚きてみしかどなどか凍みてきた中庭(パティオ)のさなかは
然れども漂ふ鳥ふるさとへと去るふりとふよ、ただ戻れかし
願はくは白波かろくドレスを擦れど黒髪ならし履く鋼
イタリアできのふ狂(たぶ)れし男のことを知れ、葡萄の樹でありたい
稲妻はドームの上(へ)かなた 遠い音 店替(たなが)へのムードはまづない
これだけを見ても、言葉に対して偏執狂的ともいえるほどのこだわりを持っていることがわかる。松原の短歌には「遊ぶ」という要素が強く込められている。常に「遊ぶ」だけの心のゆとりを持てているからこそ、自分自身の生に対しても余裕が生まれる。しかしそれ以上に言葉で「遊ぶ」ことへの狂気じみた強迫観念すら感じさせることがしばしばある。「遊ぶ」ことはもはやゆとりある部分ではなく、「生きる」ことと同義となっているのではないかと思えてくる。
塵芥浮く大川に身を映し芥川立つアクターとして
えけせデネブ刹那かがよふ白鳥(しらとり)の首のもなかをつらぬきながら
えけせてねへめエレファントマンむせぶ異種交配の夢のむごさに
わたくしの地図に描きこむ純白のホイップクリーム諸島とは泡
CANCERの星座かなしも東海の荒磯(ありそ)の波に蟹のよこばひ
太陽は核融合の大釜のぐらぐらとわがガイアくらくら
「いきしちに」「えけせてね」といった同母音の列なりから変奏していくタイプの歌が、歌集「潮だまり」のところどころに挟まれている。また脚韻を踏んだ歌も多い。脚韻歌のみで一つの連作を作っており、またあとがきでも外国語のポップスに浸透している脚韻という思想への憧憬を綴っている(そして日本人の場合それに代わるものは五七調なのかもしれないと語っている)。
コロセウムがまつ赤に染まる唐辛子百万本がひりひりとして
二十四時 きのふをきのふのまま終へる時の美貌に逢ひにゆきたい
空国(むなぐに)へかへらな鳥は海中(わたなか)の色知らざれば知らざるままに
星はすばる、と清少納言がしたためし昴すなはち統(す)まる星屑
哀しめるわれよ 豊旗雲となり夢想してゐるアドバルーンよ
異国ではことばは沈(しづ)くものならず〈君〉と〈吾〉とを架橋するもの
『WATARIDORI』といふ洋画の封切りを心待ちにす冬の底より
しかし松原は単に音韻だけで遊んでいるわけではない。外国の文化などを自在に引用しながら、メタファーと詩的飛躍の世界のなかでも遊んでいる。文学、映画、音楽、スポーツと本当にさまざまなジャンルから引用はなされている。そして結局のところ松原が言葉で遊ばなくてはならないという強い自意識のなかにいるのは、「日本」というテーマを何よりも重視しているからではないかと思えてくる。日本人としての自らのアイデンティティを探る旅として、限界まで日本語を遊び倒そうとしている。時折あらわれる社会詠と言葉遊びとのバランスを絶妙にとった歌を見かけると、そんな印象すら受けるのである。
- 作者: 松原未知子
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