トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその187・酒向明美

 酒向明美(さこう・あけみ)は「未来」所属の歌人で、2001年に第1歌集「ヘスティアの辺で」を刊行している。プロフィールとしては、金沢市在住であることと、30代なかばに短歌を始めて10年以上経ってから歌集を出したということくらいしかわからない。
 「ヘスティア」とはギリシャ神話のかまどの女神である。「ほかの女神たちのようにはなばなしい神話はないのですが、彼女をとても好ましく感じるのは、ひとつの場所にとどまるという生き方に、迷いのない叡智をみるからでしょうか。」とあとがきには記されている。そして歌に触れると、「ひとつの場所にとどまる」ことへの憧れを確かに感じるのである。

  ふり出しに戻れるならば花びらの十重なる襞のかげらふあたり


  白きうしほ曳きあふ月と太陽のはざまでゆらぐ地球のここち


  添ひ遂ぐと決めたんだからアモルファスのきらめきでいい決めたんだから


  緑風の黒部峡谷鉄道のかたはらに立つ栂になりたい


  つまるところ誰のものでもないわたし攻略されざる城郭をもつ


  父の膝がわたしの世界だつた頃夢だけがそこにありきとは言はず

 そしてそのとどまる「場所」とは地理的なものではなく、「私自身」という位相としての「場所」のようである。自分のなかにある決して揺らがない「定点」を求め続ける心が、歌へと向かわせているような気配を感じる。

  男の独り住まひつてさあどことなく締まりのゆるい蛇口のしづく


  二つ折りの手紙が花の住まひをさがしてゐるんだルナールの蝶


  屋根裏に狂へる妻を匿しもつ男の告白 月の夜の園


  テーブルの砂漠に飾る匙の束ひとしきり待てどひらかぬ団欒(まどゐ)


  自分だけのためにさし出す白き乳房あるを信じて流離(さすら)ふ男の子は


  夫は赴任地子は受験地に発つ朝のガーデン・ウォークに一陣の風

 「住む」「住まい」というモチーフが多く登場することも「ひとつの場所」へのこだわりからだろう。またその一方で「さすらう存在」として男性を描き出そうとする。屋根裏に「狂へる妻」を隠す夫もまた、ある意味で途方も無い旅に出ている。最後の歌は単身赴任の夫と受験生の子(男の子が二人いるらしい)を登場させた日常に近い風景が詠まれたものだが、「男」にどこか「風」の属性を見ている気配がある。

  ああ十五年のクリスタル婚日没は五千四百七十五回


  聞くときにはるか彼方を見すゑゐる母は月世界の人やも知れず


  くちびるを噤んでそして夕花の小径をたづさへゆくふたつ影


  紫水晶アメジスト)のゆふぞら架けてく凡庸なこの日月に月の短刀(あひくち)


  ねえ仮面の口を歪めて死が待つなら指をからませ踊らうせめて


  月の裏がはに視線を投げてゐたやうなひとだつたもの月に還つただけ

 歌集後半には母への挽歌などが並ぶが、そこでは「月」が冥界になぞらえられているとともに、女性の属性にも重ねられているように思う。酒向が歌の題材としているのは「家」や「家族」といったごく小さなコミュニティであるが、その描き方は非常に雄大である。天体や植物のイメージにあふれ、時間と空間の軸を超えていくスケール感がある。それは「月」への親和性によるのかもしれない。冥界の象徴であるはずの「月」だが、自らの還る場所という懐かしさもまた持っている。「人間はどこから来て、どこへ行くのか」という問題意識が、歌集のなかを通り続けている。そしてその糸口を「かまど」、すなわち家族の日々の暮らしのなかから見つけ出そうとしている。ある意味で、「ヘスティア」は酒向自身なのかもしれない。

ヘスティアの辺で―歌集

ヘスティアの辺で―歌集