トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその180・佐々木六戈

 佐々木六戈(ささき・ろっか)は1955年生まれ。詩人・鷲巣繁雄の短歌集を読んで作歌を始めたが、その後俳句に転向し1992年より俳句結社「童子」に参加。しかし再び短歌への挑戦を始め、2000年に「百回忌」で第46回角川短歌賞を受賞した。俳人として一定の地位をつくりながらも短歌賞への投稿を続けたのは、かなり異色の経歴である。なおプロフィールで明かされているのは、生年と出身地のほかは文学歴のみ。個人情報は基本的に明かさないタイプのようである。

  人の名のアポカリプスを綴らむか鼠骨・石鼎・蛇骨・迢空


  チャールズ・シュルツ斃れし後もチャーリーは獨身のまま白球を追ふ


  神は細部に宿りたまふを八つ裂きのスパラグモスの『草花帖』ならむ


  「水晶球殿轉霏微」(杜詩)追放これよりは苦き艾を啜りて生きよ


  インディアスの破壊について馬上より一筆啓上悪筆ながら


  その昔のラッパのマーク皇軍の輝く薬効正露丸征く

 原文は旧字体である。佐々木六戈の歌について語られるときよく使われる言葉は「ペダンティック」である。古今東西の文学に満遍なく通暁しており、引用やパロディも頻出する。挑戦的な匂いは全くなく、当たり前のような手つきで知識の泉から固有名詞を汲んでくる。難解なところばかりから引いているわけではない。「チャールズ・シュルツ」はスヌーピーでおなじみの漫画家であるし、「正露丸」はもともと日露戦争時に「征露丸」として売り出されたものであるという豆知識をもとにしている。佐々木の歌は、とにかく情報の密度が濃い。

  「とてつもなき嘘を詠むべし」獺祭の百回忌まで少し間がある


  かつてこの蛇腹カメラの闇の奥で微笑みし者らも百年の黴


  昭和史を花のごとくにおもふとき衰へはいつも花の奥から


  偉大だつた父たちの死よ掌(て)の上の硝子の球の中に雪降る


  餅ふくれ異形のものと成り果てて生き延びてゆく次の世紀へ


  へなぶりのへくそかづらもわれもまた花鳥之使乞食之使

 「とてつもなき嘘を詠むべし」とは正岡子規の言。フィクションという概念が一般的ではなかった時代に唱えられた、フィクション宣言。子規が没してから百年が近付いた時期に作られたこれらの歌は、百年という時間そのものをテーマとしている。何世代もの物語が異様に濃い密度で短い紙幅のなかに落とし込まれる、マジック・リアリズム文学のような印象が残る歌である。近代という時代を、あらゆるトリビアルな具体的事物の集合として見つめ直しているのだろう。佐々木の歌から生まれるものは流れるような物語ではない。細切れと化した記憶の終わりなき駄々漏れである。

  訃報とはたとへば吾を追ひ抜いて遠離りゆく無燈自轉車


  てのひらは返すものとてそりやあないぜ Caesar salad 頬張る我に


  森進一譯プラトンとあり ひよつとして、ひよつとして、あの


  生き延びし者らの泡を嗤ひけり群青の外君知らざれば


  アルカイダ・アカルイハダカ・千代田區の東京驛が夷艦に視えて


  さくらちる軍用バイク陸王まぼろしとして千代田界隈


  ほんたうにかなしむものはかなしみをつたへはしない そこに木がある


  さやうならあなたの草に觸れながら耳の庭ならまた逢へるだらう

 ペダンティックな歌ばかりを見ていると佐々木が気難しい知識人のように思えるかも知れないが、ユーモアやセンチメンタリズムにあふれた歌もちゃんとある。子規が「和歌」を「短歌」へと変革して百年。その百年の時間を、佐々木は意外と楽しんでいるようである。こうしたサービス精神も、近代の文学史、文化史を俯瞰し相対化させる視点を持てたからこそのものなのかもしれない。「知」をもっと楽しみなさいという大人の微笑が、歌の向うから伝わってくるようにすら思える。

佐々木六戈集 (セレクション歌人)

佐々木六戈集 (セレクション歌人)