トナカイ語研究日誌

歌人山田航のブログです。公式サイトはこちら。https://yamadawataru.jimdo.com/

穂村弘百首鑑賞・81

  鳥の雛飛べないほどの風の朝 泣くのは馬鹿だからにちがいない

 第1歌集「シンジケート」から。「馬鹿」は初期穂村弘の重要なキーワードである。歌の中で他人を馬鹿呼ばわりすることもあれば、自分自身を馬鹿と呼ぶこともある。「愚か」や「うすのろ」なども同じような意味であろう。そして面白いのが、「馬鹿」であることが「弱い」こととほぼ同義のように扱われている点である。「弱さ」を認めたくないがためのごまかしの言い換えが「馬鹿」なのだろう。
 鳥の雛が飛べないほどというのは、それくらい風の強い朝なのだろう。その強風のなかに自分の身はさらされている。たまらなく心細く、寂しい。しかしそれに負けて泣いてしまう自分の弱さがどうしても認められない。だから自分を「馬鹿」だと思うことにする。馬鹿だから自分の身に何が起こるのかわかっていない、理屈や論理を放棄した位相でひたすらに悲しい気持ちになっているだけなのだと言い聞かせている。つまり、自分の行く末の厳しさ、未来の破滅の可能性を感じていながらそれから目を逸らしている。「馬鹿」になりきることで理屈のないただの感情だけの動物となろうとつとめている。そういった姿は、バブル崩壊を予感する日本人像を少なからず寓意していたといえる。

  馬鹿はずっと眠っていろと温野菜にドレッシングで描く稲妻

  シャボン玉鼻でこわして俺以外みんな馬鹿だと思う水曜

 「馬鹿」の歌につねにつきまとっている「崩壊」の予感。これは自分を取り巻く世界がいつか壊れることを予感していながら、その予感を排し感情のみの存在であらんとしているぎりぎり感へとつながっているのである。