トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその66・吉田純

 吉田純(よしだ・あつし)は1976年生まれ。北海学園大学大学院文学研究科博士課程にて、菱川善夫に学んだ。2002年に「大日本果汁圧搾人夫」にて短歌研究新人賞候補となり、2004年に第1歌集「形状記憶ヤマトシダ類」を刊行し、北海道新聞短歌賞佳作を受賞した。
 歌集巻末の本人の手による跋文は、とても力の入った言挙げが並んでいる。短歌とは「日本人の遺書」であり、私は「前衛短歌の私生児」として瓦礫だらけの道のりを歩きださなくてはならないと宣言されている。いまどき少しアナクロ的ではないかとすら感じるほどの熱さである。「前衛短歌の私生児」を自称するだけあって、作風には塚本邦雄をはじめとした前衛歌人の影響が色濃い。

  緋の記憶もちあぐねたる晩夏に詩人が幾度目かの痴呆症

  前衛短歌もはや還暦近し 炬燵に眠る蝙蝠傘(こうもり)ひとつ

  安息にかわり窒息寸前の水母もユダの銀貨の光り

  風の午後 唇うすき友の背に鳴り響く奸雄ポロネーズ

  裕仁忌 精肉店の青年の咽喉(のみど)巻く鴇色の手拭

  侵略史の顔ぶれのみが愛されて――日本銀行券収集家

  銃口のごと颱風の眼が狙う嗜眠症なる盲目の蛇

 漢語の使い方、句跨りのリズムなどに影響がみられる。しかし「私生児」である吉田は前衛短歌を素直に尊敬したりはしない。愛情と憎悪がないまぜになったような前衛短歌への想いは、滅びと終末のイメージに託される。

  ゲームでの道徳律を探るため試しに黒人だけ殺ってみる

  連れ出して逃げてやるのさ停止したPの手前のNOな奴らを

  いっぴきの精子だった日こだわれば生きる前から戦っていた

  終末を生き延びている無様さに何を憎まん女よりほか

  灼熱の権力ふるう日輪に耐えて頭(こうべ)を垂れる向日葵

  誰なのか僕は問われて立たされてただ名前しか思い出せない
  いつまでも扉を叩くようにして僕は子宮にとどこうとする

  きつつきのごとき男よ 変えられぬ終末のためじっと手を見よ

  野良犬は土のにおいをかぎながら今日の腐蝕を確かめている

 世界は終末の中にあり、すべてはひたすら滅びへと向かっている。そんな思いが思考を支配しているが、悲嘆にくれているわけではない。むしろ終末の中を生き延び続けてしまうことに無様さを覚えるのである。終末を生きるということはすなわち、殺される価値すらない存在というレッテルを貼り付けられることと解釈しているのかもしれない。しばしば終末の果てに来る「胎内回帰」のイメージが描写されるが、真に望んでいるのは完全な終末ではなく「生まれ変わる」ことなのだろう。「私生児」であることによって背負わされる生まれながらの十字架から解放されることを願う気持ちが、滅びへの憧れにつながっているのだ。吉田が「私生児」であるならば「嫡出子」は誰なのか。おそらくは吉田が指摘するような「短歌と権力との癒着」を綿々と引き継ぎ続ける存在であろう。権力への憎悪ゆえに破壊によってすべてを断ち切ってまっさらに生まれ直そうとする。それが「日本人の遺書」の本意なのだろう。
 そういう意識をもった吉田の思想は、「日本」というナショナリティそのものにも向く。

  透かし見る地図の裏には点々とハーケンクロイツだらけの母国

  純血種短命なりという論理 犬も 帝(みかど)も ナショナリズム

  殺人の認可=フロンティアスピリッツとう言葉かなしも

  湿りたる昭和初年の闇を恋う形状記憶ヤマトシダ類

  鮮紅の円き果実が腐りつつ旗日をなせり やがて日本忌

  あかねさす天の橙色尽きるまで大日本果汁圧搾人夫

  易易と防衛白書は宣告す ふたたび「もはや戦後ではない」

  海に立つ奇岩をわれはニッポニアデビルと呼びて波濤に捧ぐ

 「日本」を詠んだ歌には、短歌史を学んだうえでの厳しい視点と、それでも短歌を詠みつづける人間としての絶望のような覚悟があらわれている。「大日本果汁」とはニッカウヰスキーの旧名であると註釈が付いているが、北海道の人間ならば札幌中心部のすすきのにあるニッカウヰスキーの巨大看板を思い出すだろう。「開拓」という名の拡張を続けてきた日本がどうなったか、そして今どうなっていくのか。ナショナリティに対する複雑な感情は、やはり北海道人ゆえのものなのではないかと思えるのである。