トナカイ語研究日誌

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穂村弘百首鑑賞・31

  超長期天気予報によれば我が一億年後の誕生日 曇り

 自選歌集「ラインマーカーズ」から。もともとこの歌は、高橋源一郎の小説「日本文学盛衰記」の中で石川啄木作の短歌という設定で提供された歌である。
 自分が生きているわけもない一億年後の誕生日を知ることはまったくのナンセンスである。しかし、そのナンセンスさに大きな魅力がある。この歌が実際に啄木を意識して作ったものなのかどうかはわからないが、少なくとも啄木はその身に降りかかる名誉を生前にはほとんど浴していない。20代にして新聞歌壇の選者になれたほどなので決して悪くない人生だとは思うのだが、長生きしていたらあまりに高すぎた自尊心も少しは慰められたことだろうと思う。人間ひとりが生きている時間というのはあまりにはかない。十年後も百年後も一億年後もたいして変わらないのかもしれない。だからこそ、自分の一億年後の誕生日というのを空想する。誕生日とはすなわち自分がこの世に生を受けた日であり、自分という人間が始まった日である。自分が生きていない時代にもかかわらず、空想するのは自分に関係のある日なのだ。ここに、過剰すぎて持て余し気味の自意識がみてとれる。本当は一億年後の人類にも、自分を覚えていてもらいたいのだ。しかし生きている間は後世の自分の評価なんて知るべくもないから、自分の人生とはいったい何なのかとひとり煩悶するのである。その煩悶が、「曇り」というどんよりした天気に象徴されているのだ。快晴でもなければどしゃ降りでもない。いまいち見通しがよくわからない。そんな気分こそが「曇り」なのである。
 穂村が啄木に自らを託す歌としてこれを選んだのは、「高すぎる自意識とプライド」という点こそが二人をつなぐ接点だと考えたからではないかと思う。一億年後も自分の名は世界に残っているような気がしてならないという素朴な実感もまた共有しているのかもしれない。