トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその34・香川ヒサ

 香川ヒサは1947年生まれ。お茶の水女子大学教育学部国文科卒業。1970年に「白路」、1984年に「好日」に入会。1988年、「ジュラルミンの都市樹」で第34回角川短歌賞を受賞。1993年「マテシス」で第3回河野愛子賞、2007年「perspective」で第12回若山牧水賞を受賞している。
 香川が角川短歌賞を受賞した回は、前年に俵万智「サラダ記念日」の大ブームが起こっていたこともあり、史上最高の応募数が集まった回でもある。その厳しい争いの頂点を勝ち取った香川の歌が、サラダブームで短歌をはじめた人が目を丸くするような作風であることはなんとも示唆的である。相聞歌もほとんどなく、短歌からイメージされがちなウェットな叙情性がまるでない作風なのだ。

  ラップ紙の芯の筒先口にあてう!う!といつてみる昼下がり

  いく台の大画面テレビ並びゐていつせいに小錦土俵に転ぶ

  フセインを知らざるわれはフセインと呼ばるる画像をフセインと思ふ

  二つとも旨いそれとも一つだけまたは二つともまづい桃二個

  すれ違ふ誰ひとりとして今朝われがミルクこぼしたことなど知らぬ

  今日は子に林檎の皮剥き教へむと最も切れるナイフをわたす
 なんでこんなことを詠むのだろうと思えてしまうほど、つまらない日常の些事を切り取っている。しかしこういう切り取り方をされることで当たり前に見えていた世界がいっきに異化されるのだ。いっせいにテレビの中に転ぶたくさんの小錦は、考えてみれば異様な風景かもしれない。こういう風に日常を切り取ったとき、私たちの目の前にはまるで騙し絵のような世界が広がっていることにあらためて気付かされるのである。
 このような作歌スタイルの背景には、共同体主義的な発想への疑問がある。〈私〉という個が共同体のなかに埋没していくことを決して受忍しようとしない。つねにたったひとりの個として世界に真向かっているような姿勢がある。日常の些事に思えるような歌の素材は、社会を円滑に進める歯車の一部であると同時に、どこか非人間的な気持ち悪さも持っているのだ。

  神が死に人間が死にいつさいはものとしてなほ残り続ける

  パン、バター、紅茶と卵 同じもの食べ続けつつ私である

  テーブルのグラスがグラスであることの証人としてわれ在りたぶん 

  生年と没年は他人が記すこと 墓石掠めて飛ぶ海燕

  角砂糖ガラスの壜に詰めゆくにいかに詰めても隙間が残る

  アイスティー吸ひ上げてゐるストローでわたしは世界とつながつてゐる

  わたしには世界の果ての私がコーヒーカップをテーブルに置く

  たとへもし世界が滅んでしまつてもそれも世界の出来事である

 これらの歌にあらわれている〈私〉の実存感覚は、自分がたった一人で世界に向き合っている異物であるという感覚と同時に、個である限りの限界というものも悟っているような匂いが残る。自分という存在の不条理さとちっぽけさを自覚しつつも、決してセンチメンタリズムに陥らない。これが香川の大きな特徴である。「生年と没年は他人が記す」ことも、「いかに詰めても隙間が残る」ことも、香川にとっては痛みを伴う「喪失」の感覚ではない。個人である〈私〉だけではどうすることもできない領域というものが世界に存在することの再確認である。言い換えれば、「身の程をわきまえている」ことの強さがあらわれている歌なのである。そういう点を考えると、若さゆえの野放図な全能感が輝きを放っていた俵万智の短歌とは徹底的に好対照をなすものといえそうである。

  抽出しにたしかに入れたたぶん入れたおそらく入れた入れたと思ふ

  タバスコを振り過ぎ「ありゃ・りゃ」と言ひたれど誰もをらねば「りゅ・りょ」と続ける

  もう一人そこにはをりき永遠に記念写真に見えぬ写真屋

  入り口に警官がゐて出口にも警官がゐて途中にもゐた

  片足で五、六度跳べばかんたんに耳に入つた水は取れます

 世界の歪みを捉えて脱臼させてしまう香川の方法論からは、こういった思わず笑ってしまいたくなるような歌も生まれてくる。ナンセンスといえばナンセンスなのだが、なぜか不思議な魅力を放っている。こういったたくまざるユーモアが、世界に対峙する〈私〉たちの張りつめた気持ちをほぐしてくれるのである。