トナカイ語研究日誌

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アークの会・村木道彦

 先日はアークの会に参加。「未来」の柳澤美晴さんや「りとむ」の樋口智子さんらを中心に札幌で行われている短歌の勉強会。今回のテーマは村木道彦「天唇」。そこで交わされた議論の内容をざっくりとまとめてみる。
 村木道彦は1942年生まれで、本人の筆によると旧華族(男爵家)の家柄だという。慶應義塾大学文学部在学中の1964年に、歌誌「ジュルナール律」にて衝撃的なデビューを果たす。しかし中井英夫に言われた「君はショートランナーだ」という言葉どおりに短期間で作歌を止めてしまったという伝説的歌人である。だが村木の凄いところはそのまま「忘れられた歌人」にはならなかったことである。俵万智が著書「短歌をよむ」にて、村木の歌と出会ったとき「すっかりハマってしまった」と評していたこともその証左であり、しっかりと若い歌人にも読み継がれていたのだ。活動期間は短かったもの「天唇」は伝説的な歌集としてその後40年以上も語り継がれているのである。
 村木の歌の特徴を挙げるとこのあたりになるだろう。

1、ひらがなの多用
  黄のはなのさきていたるを せいねんのゆからあがりしあとの夕闇
  ついてくるだれひとりないまひるまはまひるまにわれおいつめられて
  めをほそめみるものなべてあやうきか あやうし緋色の一脚の椅子

 まず圧倒的にひらがなが占める割合が多い。「せいねん」や「ゆ」のように何故そこをひらがなにするのか不思議に思えるものもある。「ぼくはただ口語のかおる部屋で待つ遅れて喩からあがってくるまで」(加藤治郎)は上の1首目の歌を意識しているのだろう。このようなひらがなの遣い方は、難しい漢語などを多用していた前衛短歌の時代ではひときわ目立つものであったが、決してオリジナルな技術ではない。議論の中では古典和歌、あるいは会津八一や釈迢空の影響なのかという意見が交わされた。

2、非政治性
  きみはきみばかりを愛しぼくはぼくばかりのおもいに逢う星の夜
  失恋の〈われ〉をしばらく刑に処す アイスクリーム断ちという刑

  ひだりからみぎてににもつもちかえてまたあるきだすときの優しさ
 村木の歌への姿勢は「ノンポリティカル・ペーソス」という評論の中によく示されている。折しも安保闘争学生運動はなやかなりし頃である。福島泰樹をはじめ同世代の歌人の多くが反体制運動に参加していた。村木自身はそのような動きに惹かれたこともありながらも、やがて「思想」を拒否し自己の〈生〉を追及しようとする方向へと向かっていった。それはすなわち、あえてごく個人的な歌を作り続けるという姿勢となってあらわれた。
 上記1・2首目に満ちている軟弱ともいえるナルシシズムは、反体制の時代においてあえて個人的な感情を歌い続けるという意思表示であった。3首目の「ひだりて」「みぎて」は、窺った読み方をすれば左翼・右翼の比喩ととることも可能である。しかし、「自分の感情を自由に詠う」というポリシーが、やがて「決して政治・社会を詠わない」ことに拘泥することにつながってしまったがゆえに歌を束縛してしまったのではないかという分析が出された。

3、言葉の重なり
  するだろう ぼくをすてたるものがたりマシュマロくちにほおばりながら

  水風呂にみずみちたればとっぷりとくれてうたえるただ麦畑
 「くちにほおばる」「水風呂にみずがみちる」といった表現は明らかに言葉の重なりであり日本語としてはおかしい。しかしそれが決して疵になっていない。韻律そのものの美しさが意味性を超えてしまっているのかもしれない。

 村木の歌のルーツを探っていくとやはり前衛短歌に至るものが多い。

  ―。そしてなお、空にも虚構あるごとく朗々として雲そそりたち。

  死は汗のひゆるがごとくきたるべし 真夏砲丸投げのわかもの

  黄昏のひかりみちたり 時計店 無数に時はきざまれながら
  欲望はうつむきがちにくるものを たとえば夏代さんというひと

 上から順に、岡井隆、春日井建、塚本邦雄寺山修司の影響をみることができる。昭和30年代末への前衛短歌への風当たりはとても強く、「少しでも前衛短歌を擁護したと非難されることを怖れて、苦しげな懺悔と自己批判を試みる手合いさえいたのである。」(中井英夫)という時代だったようだ。
 高野公彦らは「前衛短歌を批判的に摂取した内省的傾向の強い新人たちが徐々に頭角をあらわしてくる。」と前衛後の短歌シーンを分析している。村木もまたその一人に並ぶわけであるが、しかし歌を読む限りでは決して批判的に摂取したわけではなく、むしろ完全に傾倒していたようにさえ思えるというのが衆目の一致した点であった。
 村木は近年になって作歌を再開したが、アンソロジー「現代短歌の鑑賞事典」に収録されるにあたっては「天唇」からは9首のみ、あとは未収録短歌を掲載している。過去の自分を否定するかのような動きに込められている思いとは何なのであろうか。そして今年、34年の時を隔ててついに第2歌集「存在の夏」が発行されたのである。