トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその54・岡部桂一郎

 岡部桂一郎は1915年生まれ。熊本薬学専門学校(現熊本大学薬学部)卒。1937年に「一路」入会。「工人」「黄」「泥」などの創刊に参加しているが、基本的に結社に依らず活動しており、孤高の歌人と評されることも多い。2003年に「一点鐘」で第37回迢空賞、2007年に「竹叢」で第59回読売文学賞を受賞している。
 岡部は山崎方代と長い歌友であった。そういう点もあり作風に類似性が多い。特に後期の作品には口語表現が増え、より方代の作風に近付いている。

  大正のマッチのラベルかなしいぞ球に乗る象日の丸をもつ

  里芋の畑の上に月が出て逝きたるものはもう帰らない

  猫じゃらし風に遊んでいるけれど太郎と花子もう帰らない

  立ったまま笑いころげる葱坊主黙って風の通る葱畑

  逝く春を森永ミルクチョコレート箱が落ちてる 泣いているのだ

  夕暮れてじっと昏れない空がある助けてくれという空がある

 「一点鐘」からの歌であるが、かなり読みやすい口語が使われている。しかしその歌のテーマが老いと死であることは明らかである。周りのものたちはみな逝ってしまいもう戻らない。自分はひとり残され続けている。そういう思いがつぶやきのような口語へと転化されている。
 初期の歌はこのような作風である。

  まさびしきヨルダン河の遠方(おち)にして光のぼれとささやきの声

  幻燈に青く雪ふる山見えてわれに言問うかえらざる声

  砂の上に濡れしひとでが乾きゆく仏陀もいまだ生れざりし世よ

  瞬間にあいし二つの手のひらより命死にたる蚊が落ちてくる

  くら闇にトランペットが鳴っている堕ちゆくわれを救わせたまえ

  高きより地上をてらす投光機ふり仰ぐかな老いしオルフェは

  おさな子の声のする窓ものきざむ窓みな灯るとき無縁なり

  追突のトラックの音するどくて群衆のなかわれは笑えり

 無常観の見え隠れする作風である。「仏陀」や「救わせたまえ」などどことなく宗教的な感触も残す。岡部が実際に何らかの信仰をもっているのかはわからないが、自己の孤独をしっかり見据え、そこからの救いとして目には見えない大きな力を欲しているようにも感じられる。「光を見つめる」という行為が頻出するのも、光というものに神性のような超越した何かを感じているからに思えてくる。
 夕陽の歌が多いのも、そのような信仰にも近い光への思いによるものだろう。

  野の果てにくるめき落つる日にむきて空(から)のトロッコが疾走し居りき

  空気銃もてる少年があらわれて疲れて沈む夕日を狙う

  銃殺の音ならなくに落つる日が野の上に低くとどまれるとき

  うつし身はあらわとなりてまかがやく夕焼空にあがる遮断機

  あかあかとじゅず玉の実のしずまれる辺照の道 身を捨てる道

  夕空の下を来れる取税人 逆光の顔笑いたるらし

  たなびける夕鱗雲この部屋にコードつたいて電燈ともる

  人はなぜ沈みゆく陽をみつめるかたらちねの母教えたまわず 
 沈みゆく陽に強く寄せる思いは、愛着ばかりではない。ときに恐れでもある。夕陽には限っていないが、「日の光り射し来る下に思おえず両の掌 揃え差し出す」という歌もある。日の光が何かしらの助けを求めるような神性のあふれたものであることを強く認識しているのだろう。そしてその背景には人はみないつか消えてしまうのだという無常観がある。老いと死をテーマにするようになったのは実際に老いてからの話ではない。若い時からずっとテーマだったのだ。ひょっとしたら戦争体験がそういう認識に深く影響をおよぼしたのかもしれない。 
  こんにゃくの裏と表のあやしさを歳晩の夜誰か見ている

  小指薬ゆびなか指人さし指少しはなれて憩う親指

  手のひらもわれの身のうち親指をぬぐいて順に小指まで拭く

  オムレツは卵を掻きて塩・胡椒紡錘形に焼いたお料理

 その一方で気になってくるのがこうした歌である。抒情的なようでいて抒情的ではない、不思議なユーモアのある歌である。特にオムレツの歌は「ただごと歌」としてみてもかなり面白い、吹き出してしまうような歌である。長く生きた人間はとくに肉体の制約をひょいっと超えて精神の自由人になってしまうようなところがある。ある種の極地に達した人間のみが知りえる深淵のような世界が、岡部の短歌の端々に覗けてしまうような気もするのである。