トナカイ語研究日誌

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穂村弘百首鑑賞・26

  水滴のひとつひとつが月の檻レインコートの肩を抱けば

 第1歌集「シンジケート」(1990)から。あまたの水滴のそれぞれに月が映っている情景を、月が水滴に閉じ込められているとみなして「月の檻」と表現している。卓抜した言語センスであり、非常に修辞のすぐれた歌である。実はこの歌は本歌取りである。本歌はこちら。

  水銀の如き光に海見えてレインコートを着る部屋の中  近藤芳美

 アララギ系の代表歌人である近藤の歌を穂村が引用するというのは少し意外な印象も受けるが、直喩を用いる近藤のリアリズムを、「月の檻」というささやかな隠喩で幻想に転化してみせるところが見事であり、穂村の技巧力がいかんなく発揮されている一首である。近藤の本歌ではレインコートを着ているのは〈私〉であるが、掲出歌の場合「肩を抱けば」と言っているあたりレインコートを着ているのは〈君〉である。ひょっとしたら〈私〉のレインコートを着せてあげたのかもしれない。部屋にて一人でレインコートを着る近藤の孤独が「海」という大きく広いものへと展開していくのに対し、二人で抱きあう穂村は水滴から「月の檻」へとひたすら狭い世界への収斂を見せてゆく。この対比が面白い。

  抱き寄せる腕に背きて月光の中に丸まる水銀のごと

 もう一つ穂村には近藤の同じ歌から別展開への本歌取りを見せた歌がある。月と水銀というモチーフからまた別の世界が構築されている。水銀のように丸まるという鮮やかではかないイメージが限りない切なさを生み出している。水滴のひとつひとつに閉じ込められた月光は、〈君〉を丸まらせたまま小さな世界へと連れ去ってしまうのだ。