日置俊次(ひおき・しゅんじ)は1961年生まれ。「かりん」所属。東京大学文学部国文科卒業。フランスのエクセ・マルセイユ大学、パリ第3大学に留学し、現在は青山学院大学教授。2004年に「ノートル・ダムの椅子」で第50回角川短歌賞次席。2006年、「ノートル・ダムの椅子」で第50回現代歌人協会賞を受賞した。「ノートル・ダムの椅子」「記憶の固執」「愛の挨拶」といった歌集がある。
角川短歌賞次席作品はフランス留学経験をもとにしたものである。
この留学より〈われ〉が始まる 原点をノートルダムのかたき椅子とす
プルースト好きの日本人(ジャポネ)がまたひとりと苦笑し教授が肩をたたきぬ
「日本館」とふパリの学寮に伝はりし雪平鍋をかぷかぷ洗ふ
わがために流れよセーヌ 批判されし『スワンの恋』論はこべ海まで
破傷風の接種を受けしよりパリの路地には馬のにほひ満ちたり
カテドラルが夕映えの髪を梳かしをり 春のかなしみ春にをさめよ
フランスでの学徒生活を描いた歌であるが、フランスと日本との間の文化摩擦や日本人としてのナショナリティ意識といったものは薄い。厳しく批判された論文を川に捨てて「わがために流れよセーヌ」と呼びかけたりするようなやや芝居がかった女々しさの方が印象的だ。この歌のように一つの強烈なアクションがポエジーの核をなすことが多いという点で、日置の短歌には映画的な志向がある。歌人には名詞に命をかけるタイプ、形容詞に全力を注ぐタイプなどがいるが、日置は比較的珍しい動詞重視型の歌人であるように感じる。
つぐなへぬ蒼きガラスの散乱を踏みしめて哭(な)くわれの雨季来る
ガラス屋のチャップリン来る礫(いし)投げて小窓を叩く天使をつれて
ヴァイオリン弾く子ふたりの弓に塗る松脂こよひ雪のにほひす
ウルトビイズの羽もぎし背にあをびかるガラスかつがす天使コクトー
水中に堕ちたるかほで笛鳴らす石の天使は熾(ひ)の煤まみれ
モルフォチョウのりん粉青を寄せつけずはねかへすゆゑ青びかりせり
眼より身へ流れこむ星の棘痛しわけても冥王星(プルート)の漆黒の棘
第3歌集「愛の挨拶」では、こういったフランス映画調のきらびやかな歌が目立つ。硝子や天使のイメージが繰り返され、きらきらと輝きを放って幻想的である。日置の歌は常にパリをその背景に持っているのだろう。こうした世界観にもっとも良質な特性が表れているように思う。
自動ドアわれに開かずたれか来て見事に開くを今は慣れたり
逡巡しつねに拾ひぬホームより落ちかけてゐるヲロナミンの壜
「つめたい」のボタン四十二個灯る自販機でつひに天然水買ふ
メロンパンの甘きかさぶた剥がしつつ飲みくだしをり彼岸の秋は
アイポッドなみだのかたちにぶらさげて眼閉ざしぬきしむつり革
遅刻せし理由の欄をにじませて傘持つ少女「蛙」と書きぬ
キャッチボールをしてくれし父ひとつだけのグラヴはわれの手にはめられて
しかし映画のようなきらびやかな歌は、こうした何でもない日常詠に絶妙に紛れ込んでいるのである。日常の狭間にふっと生じる異世界への入り口を見つめ続けているのである。そしてその入り口の鍵は、モノではなく「動き」の中にあるように感じられる。
遅刻の理由に「蛙」と書かれたとき、蛙から逃げて遠回りしたのではなくついつい蛙とにらめっこして遊んでしまったと解釈した方が面白い。「にじませて」や「はめられて」の、何でもなく書かれたように見えてその背景をいっきに語ることに成功している動詞の選択の巧みさに注目したい歌人である。
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