トナカイ語研究日誌

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穂村弘百首鑑賞・17

  微笑んだガキのマネキン満載のワゴンが燃え上がる分離帯
 第2歌集「ドライドライアイス」から。この歌における「ガキ」という言葉の遣い方にはかなりの違和感を覚える。そこだけ極端に自我が主張されているようで妙に浮いて見えるのだ。しかしこれは、瞬間最大風速的な悪意を込めた周到な計算に基づいた言葉の斡旋である。
 「微笑んだガキのマネキン」は偽の無垢なるもの、偽の純粋さの象徴である。穂村はそういったものに徹底した嫌悪を抱いていて、それが満載となったワゴンが交通事故で燃え上がる風景を幻視する。「火」というイメージにはとてつもない災厄といった意味も込められているが、同時に人間の手に届かない何かへと「浄化」されてゆくような意味合いも持っている。また、燃え上がる場所が「分離帯」であることも重要なポイントだ。その名の通り道が二つに分離していく地点なのである。偽の純粋さは激しい炎をあげて燃え上がることで「地上に残る真っ黒な燃えカス」と「天に高くのぼっていく煙」に分離されていく。天にのぼっていったとき、あるいは本当の純粋さを得ることができるのかもしれないし、そうではないのかもしれない。しかし、地上に残るものはいつだってただの燃えカスなのである。

  回転灯の赤いひかりを撒き散らし夢みるように転ぶ白バイ

  すり抜けろ 巨大な夜のフクロウの爪にかかった事故車(やつら)の横を

 掲出歌と同じ一連にある歌である。穂村が「交通事故」というモチーフに特別な思いを抱いていることがわかる。交通事故はとても都市的な災厄であり、それに執着をみせるというのは詩人としてかなり特異なタイプといえるかもしれない。穂村にとって交通事故というのは夢と現実の境界を壊す存在なのかもしれない。大きな音を立てて車が破壊されることで、またパトカーや救急車のサイレンが近づいてくることで、現実が乱され異界へと迷い込んだような錯覚を感じるのかもしれない。身近な非日常の入り口というのは社会のいたるところに転がっているものだが、それが「交通事故」だという点に穂村弘という歌人の独特の感性が光っている。