トナカイ語研究日誌

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『[sai]』2号読んでみた。

[sai]2号届く。気鋭の若手歌人が集った同人誌である。編集人は鈴木暁世。今号は「からだからでるもの」がテーマとのこと。テーマゆえかエログロ的な歌が目立った。黒瀬珂瀾の評論「全円が影となるとき ―春日井建におけるHIVのイメージ―(1)」は力作だった。今橋愛はやはり現代短歌の最前衛にたった一人で立っている。それゆえに、「なぜ短歌なのか」「なぜ自由詩ではいけないのか」という愚かしい問いと闘っていかなくてはならないと思う。

以下、良かった歌を抜粋。

●玲はる名「雪のサイレン」

(毛が抜けた―また、毛が抜けた。 この髪はどこからやってきた黒なのだ)
(毛が生えた 毟った髪の毛また生えた。 どこからやってきた黒なのだ)
「血」を訳す言語も尽きて宗教にペニスが入り言葉も終わる
肛門は糞にひらいて女体なら肛門までも印籠になる

洗っても黄色人種。逆さ吊りしてもやっぱり黄色人種
「ちんくしゃじゃないよ」
「ちんくしゃなんじゃない? ちんくしゃじゃなきゃ意味がないんだ!」


●盛田志保子「ゆめおち」

十センチの鰯の中から五センチの鰯が出てきた半分溶けて
きらきらと剥がれ落ちてく金粉をすくえば指にとどまる光
ネットなど必要のない若者が増えるといい雲と虹と雲
変な汗かいているとき〜ああここにわたしがいると思い知るとき

不安だといえばいうほど広がっていく海がある球体である
あの人のやさしい体から出てるどこにも流れ着かない林檎


●岸野亜紗子「おがくづ」

ほほゑんですますわれより鱗のある魚のはうが好かれるだらう

終電車につめこめるだけつめこまれ肉食であることを嗅ぎあふ
おほかたはなんにもなさず消えてゆくわたしもわたしのなかの濁りも
おほかたは泳ぎ着かずにゐなくなるあなたもあなたのなかの濁りも
葉桜の芯まで揺らす風は来て右の目だけがゆるされて泣く

こころから生えてゐるのか排水口に蟠る髪の毛は黒くて
朝あけの嵐の空をゆく雲のくづれてもくづれても生む母


●石川美南「もる」

いつか聞きぬ 一度悲しみ始めたらもう泳げない魚(うを)の話を

二人とも無理をしてをりさみしくて真水を飲んでみた海の魚

こころ弱いわ、わ、私なり「使用中」のプレートひとつひとつを憎み
(おそらくは私がひどい)ちろちろと洗面台に手を濡らすころ


●今橋愛「からだからでるもの」

ぼくたちは
まるでだめだが
せっくすのときはりちぎにごむをつけるよ


ばあちゃんが
死ぬすこしまえにくださったてがみと
とても筆圧が にてる


あのひとが話すと
みどりいろ行ったり来たりするから見ていたんです


この。ども。る。ちいさ。な。こども。のきらきらの。きら。きらの。しょー。と。しそ。うな。ゆめ。 を


なんであいちゃんだけ
なんであいちゃんだけ


かんでたらてぶくろってあまいよ


あるあさのせいえきはかわいそうである
せいえきはにげることができない


人はみな しんでしまいます
だからいま あっぷるぱいは とてもおいしい。



●生沼義朗「クラクション」

言葉への信頼がまだ足らぬゆえ、発する言葉は両刃となりぬ
水よりも血は濃いことを示しいる皇室一族集合写真
わが前に履物脱ぎてあらわれる実に見事な外反母趾
つづまりは身体から出るエナジーの差なり、幅跳びの単純ぞよし


黒瀬珂瀾「デモの子供たち」

われ一人のみ地雨降る皇都へと逃れしを怒れるか、吾妹よ
デモはゆくスタバ、マックの谷底をガラスを透かし観察されて
吾ら《子》は親の放ちし粘液でありしが未だに上澄みしか吐けぬ
黙礼にすれ違ひたりオウムでも出世したらう雨宮処凛
子の前に僕を孕んでくれ妻よ、秋の銀貨に光失せゆく
世を嫉む心が俺の子供なら産褥の血にまみれてをらむ


●高島裕「蒼き誤謬」

現実よりややに藍濃く描かれし海 いちめんに禁忌を撒けり
処女作の海は遺稿に打ち寄せる とりかへしつかぬ業(わざ)なり〈文〉は
授業中、机下に吐き出す夢の中われこそ蒼き永遠(とは)の暴君
愛されてばかりだ、愛を喰ひ散らす皿のほとりに卓上花死す
白雪のごとき砂糖をふり撒いて搾取の跡を隠す/忘れる
日ごと日ごと湯水の愛を享けながら群青界にひとりなりけり
夏の日の愛撫のさなかこつそりと鏡に向きて舌を出したり